meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

移住した場所で、季節を感じること。

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 もう結構前のことになるけど、4月の末ぐらいかな、ゴールデンウィーク前に撮った写真を上に載せてみた。車の中から、山を撮っただけ。山は緑で、もさもさしている。当然、緑にもいろいろと色があって、新緑も混じっているし、なんか薄い緑も混ざる。この季節の山なのだなぁ、と感じる。
 山はいつも山だと思っていた。というのが、正直なところだと思う。あんまり気にしたこともなかったのかな。その変化には無頓着で、身近にあったハズなのに味わっていなかったのだろう。
 俳句の季語には「山笑う」とあって、春の山を表す言葉らしい。このときはもう春というより初夏な雰囲気があったけど、ああ、こういうのが山笑うっていうものなのかなぁ、って考えながら撮ってもいた。山の変化に改めて気づくこと、ところどころに咲く藤の花を見つけることが、意外にも楽しかった。

春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如く (『臥遊録』 郭熙)

 「山笑う」の由来はここにあるという。笑う、滴る、粧う、眠る。なるほどなぁ、と思う。山は山なのだけれど、いつも同じ山ではいられない。世は無常、変化は世の常だったのだ。泰然自若としていたような山も、変化には晒されている。自ら変わろうともしている。季節のリズムを刻んでいる。
 名古屋にいたころも季節は感じていたし、都市とはいえ自然が多めのところに住んでいたし。違いといえば、山や海があるかないか、ぐらいのことかもしれない。それでも、今はこの清々しさがありがたい。

●◯。。。...

 こんなに自然派じゃなかったのになぁ、と思う。今でもインドアな遊びも大好きだし、パソコンもインターネットも欠かせない。回線速度が遅いとキーッとなってバンバンやって、、、はないけど、じれったくはなる。
 いつからこんなことを書きはじめたのか、と考えて西粟倉を思い出した。昔の記事にこういうのがあった。

 

meta-kimura.hatenablog.com

 

 思えば、山笑う、って言葉をみかけたのも西粟倉のサイトだったような気がする。あのときは、ふーんって感じで流していた。今になって、こういうのがキレイで、気持ちがいいのだなとわかった。冬があって、春がある。一気に活動的になる。それが身に染みて、やっと合点がいった。

 そこにあるものを豊かに経験できるかどうかは自分次第なのだなぁ、と、つくづく思う。

 

m(_ _)m

 

 

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