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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

ぼくらの夜空のムコウ。

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 年末。帰省の途中に名古屋に寄って、もちさん夫妻の家に厄介になった(もち夫妻、ありがとう!)。ささやかに飲み会みたいなものを企画して、7人ぐらいがこたつを囲んで、鍋とか干物とかスイーツをつついて楽しんだ。この秋に引っ越したというもち夫妻の家はすごく広くて、みんなで実家みたいな雰囲気だと話す。築年数は40年ぐらいらしい。
 「一緒に住んでたのが6年ぐらい前やね」という言葉に不意をつかれた。なんと、もうそんなに経つのか。もちさんと一緒に、金山でルームシェアをしはじめた頃。あの頃は、まだ名古屋にシェアハウスが少なくて、東京でちょっとずつ「シェアだよね」的な雰囲気ができはじめていて、ふとしたきっかけと勢いと、もちさんの類まれなる行動力で、あれよあれよという間に3LDKに転がり込むことになったのだった。

●◯。。。...

 SMAP騒動もあって「夜空のムコウ」を聴きたくなった。「あの頃の未来に、僕らは立っているのかな」という歌詞が、皮肉であったし、キーンと響いてきた。あの頃って、どんな未来を描いていたのだろうか。いや、そんな未来なんて描いてもなかったし、そもそもぼくに未来があるなんて思えなかったような気がする。
 名古屋にいたころに「やったこと」はそれなりにある。勉強会だとか、ボランティアにはじまり、NPOに流れ着いてイベントをやり、ソーシャルファイナンスを学ぼうとして、マイプロをし、地域に通った。その動きは、人から見れば「活動的」と言われるぐらいのものだったと思う。だけど、ぼくにとってそれは「あがき」みたいなもので、大きな流れにどうやったら棹をさせるか、ちょっとぐらい流れを変えられるか、届かない声が少しは耳に入るか、というような試みでしかなかった。当時から、そんなに変革させられるとは考えていなかったし、「社会を変える」なんて強い意志は持っていなかったのだ。
 だから、明るい未来があるなんて到底思えていなかったのかもと、思う。国は財政破綻寸前だった。地域は衰退の片道切符をギュッと握りしめているように見えた。その下り坂で、どのくらい楽しく転がっていけるか、が問題だった。今はあっても、未来は見えなかった。見えなかったから、ただ単に、もう少し生きて知りたいと思った。20年後、この「あがき」がどうなっているのか。その結果に興味を持つという、ひねくれた恰好で、その日その日を過ごしていたのだった。ある意味で、どういう未来でもいいやと、そういう覚悟だけはしていたのだ。

●◯。。。...

 そうやって、目の前に出てきたことを処理していたら6年が経っていた。年始にはSMAPが解散するとかいうニュースが流れ、微妙で、後味の悪い雰囲気を残して、この年末にSMAPは解散するらしい。ぼくは引っ越して、ひとまず丁寧な日常のペースを得たように思う。もちさんも郊外に引っ越して、広い庭を耕しはじめている。オバマが任期を迎え、トランプが次期大統領に選ばれた。イギリスはEUを脱退すると決めたまま、ちょっとうじうじしているようだ。電通は来年度から鬼十則を社員手帳に載せないと決めた。マイナス金利が導入された。
 どうやら、世の中は大きく動いている。ルームシェアをはじめたときに考えていたような、財政破綻は起こっていない。寄付が一般的にもなっていない。若者の投票率が上がったというニュースも聞かない。手渡されるお金が、どういう意味を持つものなのかもわかっておらず、東日本大震災の衝撃はライフスタイルの転換にまで届かなかった気配をみせている。アベノミクスで延命された経済は、東京オリンピックに向けて加速するのだろう。年金なんぞ貰えないと、もう何年も前から知っていて、それでも受給が70歳以上になるかもという記事に、なんだか動揺してしまう自分もいる。何が虚偽で、何が本当のことかわからなくなる。つまりは自給自足かとか、言いたくもなってしまう。

 そして、夜空のムコウには、もう明日が待っているらしい。日々はただ巡るのだ。未来は見えていない。ぼくはあらん限りの力でもって、自分の良心を守らなくてはならなくなるだろう。そんな予感は持っている。そんでもって、言葉の端々から落ちこぼれていくコレを掴まえようとする「あがき」は、ずっと続けていくのだろう。

 

m(_ _)m

 

 

夜空ノムコウ

夜空ノムコウ

 

 

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