meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

次のパソコンを考える。

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 MacbookProがヤバい。というほど、ヤバくはないのだけれど、そろそろ「次」を視野に入れなくてはならなくなってきた。今、使っているMacbookProは、Mid2012のRetinaである。名古屋にいるときに、えいやーっと購入した母艦で、CPUはCore i7、メモリが8G、ストレージはSSDの256GB、グラフィックスはNVIDIA GeForce GT 650Mを内蔵している。要はその当時で考えると結構なハイスペックマシーンだと思っていて、まだまだ現役で使用できる能力を有しているハズなのだ。
 が、しかし。バッテリーがへたってきてしまった。2年ぐらい前から「バッテリーの交換修理」表示は出ていたのだけれど、まぁ、それはそれとして騙し騙し使っていたし、使えていた。それがこの秋冬あたりから、本当にバッテリーの減りが早くなり、40%ぐらいで突如電源が落ちたりして、本格的にバッテリーへたってるぞ状態に突入したのだ。

●◯。。。...

 これは流石にいかん、と思ってApple StoreGenius Barに持ち込んだのが年明け、1月3日のことだ。AppleらしいフランクなスタッフさんがちょいとごめんよとMacbookProをひっくり返しての第一声が「ビンテージかぁ」だった。結論から言えば、5年以上前の機種については付属部品の生産が終了していて、在庫がなければ交換するバッテリーがない、つまりは直せない、ということであり、さらに言えば在庫がある可能性はとっても低いとのことで、やっぱり直せないんじゃないか、とのことであった。
 その上、他の機能にも問題がないか調べてもらったところ、ビデオカードにも注意マークが出た。ノイズなどがのってくることはなかったので、不調はないから大丈夫だろうと答えておいたのだが、帰宅して動画を見ていたら、たまにノイズが入った。こうなると、苦笑いするしかない。(とりあえずSMCリセットとPRAMリセットはしておいた)
 ハイスペックなPCを買ったのだから、大切に、長く使おうとしたのが間違いであったらしい。いいパソコンはいい値段で売れるうちに売ってしまって、最新型に乗り換えるのが今風だったのだろう。ぼくはそんなに器用にはなれなかった。
 退職するスタッフに贈る動画を編集したり、「ゆっくり」にしゃべらしたり、写真のRAWデータを現像したり、イシス編集学校師範代担当時代には毎日何時間も向き合ってひたすらカタカタとキーボードを鳴らしたこのMacbookProには思い出もたくさん詰まっているのだ。愛着が湧いてしまうと、売ろうという気持ちにならない。買い替えでうまく最新型を手に入れていくスタイルには向かない人間なのだなぁ、としみじみ思った。

●◯。。。...

 ただし、その結果が、この状況である。スペックがよくても経年劣化はさけられぬ。それならば、次のPCをどうするか。最近はMacも高くなっていて、同じようなスペックを求めると大変な金額になってしまう。使い勝手で言えば、まだまだMacの方が上なのだけれど、実務っぽいことをするならばWindowsという手もアリである。どちらにしても、相応のお金がかかる。うーむ、うーむ。なんだか、ここ半年ぐらいは色々なものを買ってばかりいるような気がする。買ってばかりで生産的なことができていないのもおもしろくない。
 買っては古くなり更新し、更新しては古くなりまた更新する。仕方がないこととはいえど、なんとなく自転車操業のようである。短く買い換える方が長く使いこむよりお得であることはわかる。経済的にも買い換えが多い方がいいだろう。それでも、その方程式には疑問を感じてしまう。貧乏性なのだ。たぶん、このMacbookProもあと1年ぐらいはもってくれるだろうと思っている。

 

m(_ _)m

 

 

土門拳 古寺巡礼

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