meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『ヒトニツイテ』五味太郎 ― ヒトッテヤツハ・・・

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 五味太郎の本を買った。ぼくの中で五味太郎と言えば『ことわざ絵本』であって、小学校低学年とかそれぐらいの時期に、何度も何度も読み返したものであった。すっごい好きというわけではなかった。ただ、なんというか、そのテンションがクセになる。時間があったり、暇だなぁ、ってなときに、畳の上にゴロンっと寝転がって、その辺にほかってあった本を手にとってパラパラと読む。そんぐらいのゆるやかさで、『ことわざ絵本』に親しんでいた。
 特に好きな作家になったりだとか、そんなこともなかった。記憶の中でなんとなーくな存在感を保ち続ける作家のひとりに五味太郎があった。

●◯。。。...

 いつだったか、一箱古本市の店番を頼まれたときに、箱の中に五味太郎の絵本があった。シュールだった。ゆるやかなテンションで、なんだか意味のないようなあるような、ダジャレのようなそうでないような雰囲気で、これは売れるだろうなぁ、と思える本だった。高値をつけておいたら、案の定、売れた。ちょっと自分で買っといてもよかったかもしれんと感じるぐらいには、シュールな本だった。
 以来、たまに見かける名前になってしまい、友達の子供がちょっと大きくなってきたらプレゼントに最適だなぁ、なんて考えるようにもなった。五味太郎はセンスがあってオモシロな作家という認識を持つようになっていた。そこに来ての、『ヒトニツイテ』である。右ストレート、いや、ボディブローか。

●◯。。。...

 どこかで見かけた五味太郎と誰だったかの対談記事に出てきたのが『ヒトニツイテ』だ。対談相手が絶賛していて、妙に気になっていた。記事自体は、五味太郎のクセが強過ぎて、若干幻滅気味になって、序盤だけで読むのをやめた。自由人ってのの扱いは難しい。
 残ったのは『ヒトニツイテ』の印象だけで、読みたいなぁ、と焦がれること3ヶ月程度。少し読書に明け暮れるフェーズがやってきたこともあって、今のうちにと併せてポチッと買ってしまった。届いたのが昨日だ。絵本だから、スグ読めてしまう。そこがまた、恐ろしい。

●◯。。。...

 内容に触れることは控えておく。ただただシンプルに、衝撃を受けたのは事実であった。ムチャクチャ味わい深い。絵も含めて。考えさせられるのだけれども、分析とか、論理とかが入り込んでいくのも興ざめな気がして、いわゆる、言葉にできない系の触り心地である。読んだ人とじっくり語ってみるのもいいかもしれないけれど、語らずに独りで反芻したい気持ちにもさせられる。ああ、と声が出そうになった。
 五味太郎に限らず、絵本ってのは無邪気に本質を突いてくる。シガラミがなくて自由だ。言葉はやさしいくせに研ぎ澄まされている。詩と同じである。子供と同じ真っ白さで、子供と同じ残酷さも持つ。
 詩をやりなさい、と孔子は言ったそうである。『身体感覚で『論語』を読みなおす。』に書いてあった(←最近読んだ本の知識をひけらかす)。詩ってのは、言葉数を少なくして、本質に一気に切り込むものだから、根源を突く感性を磨くにはもってこいなんだそうな。そんなものなのかもしれない。

 さて、ヒトニツイテ。人生経験を積んだ大人の方がハマる本。ヒトハ、ヒトッテノハ、ヒトッテヤツハ……。

 

m(_ _)m

 

ヒト ニ ツイテ (シリーズ子どもたちへ)

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五味太郎のことわざえほんシリーズ(全2巻セット)
 
身体感覚で『論語』を読みなおす。: ―古代中国の文字から― (新潮文庫)

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