~19時に研究会に参加。その後、夜行バスで名古屋に帰り、その日は
1日勤務( しかもイベント梯子w )というハードスケジュールにな
ってしまったが、結果的には行ってきてよかったと思う。
もともと東京大学学際情報学府は「 気になる存在 」だった。情報だ
のメディアだのを何か研究のテーマにしていこうとしながら、よーわか
らんことを言い続けても大丈夫そうな匂いがしていたのだ。特に、ソシ
オメディア論の水越伸先生には1度お会いしてみたかった。この方の言
葉には、ほんとに「 勝手にお世話になっている 」
「 批判的実践者 」には、どれほど救われたことか。
自らに対して、批判的であっていいのだ、と。その姿勢がむしろ推奨さ
れるのだ、と。今から考えれば当たり前のことだけども、この言葉に出
会ったときには、大きな発見をしたような気分になったもんだった。
そんな先生が声かけしているメルプラッツの雰囲気や、水越先生自体の
雰囲気、学際情報学府の雰囲気。それらを感じるためには、やっぱり東
京に行ってみるしかなかった。ふとしたきっかけで案内を見つけたので、
スグさま東京行き強行スケジュールの算段を立てていた。
今回のメルプラッツのテーマは「 大震災後、私たちの考えていること、
やろうとしていること 」旬といえば、旬なテーマである。そうそうた
る登壇者が揃って、大震災に何を感じたのか、これから何をするのか、
を語っていた。話の内容は公式のログに任せるとして( 多分どっかに
あがるハズ )気付いた点を以下に書いておこう。
1,研究者の徒労感。おれ、何やってきたんだろう的な。
研究者といえど、自分と変わらぬ人だなぁ、と。特にこういう参加費
500円とかのイベントだと、みんな気を抜いて(?)思考の途上を見せ
てくれるからありがたい。( 研究者的には、洗ってない下着を見せる
ようなものだとけなされる発表らしいが、完成された思考より、プロ
セスの途上の方が相当魅力的に見える )
まず、研究者のくせにの、無知っぷりに愕然。東大の教授たって、原発
についてわかってるわけじゃない。専門じゃないからっていっても、あ
まりに知らない。。。いったい、何やってたんだろう的な。さらに、東
電の発表にも愕然。こういうときの企業の発表って、指導したじゃん、
的な。。。そして、結局、こういう事態に陥って、今まで研究者として
何やってたんだろう。。。と、落ち込む。とっても普通の人の普通の反
応と同じだろう。むしろ、研究者の方がより一層フラジャイルに見えな
くもない。おそらく、それでいいんだろう。
だいたい少し経つと、それぞれの役割を取り戻して、前向きに動き始め
るようだった。この辺も、共感する。
2,東電発表に対する、自分に向けての危機感
私が普通の会社に勤めていなかったからか、この危機感は見逃していた。
つまりは、東電の発表を「 うちの会社でもああなってしまうだろう 」
という感覚で見ていたサラリーマンが多かったという話だ。なるほど、
と思う。さらには、「 ああなってしまうだろう会社に勤めている自分
は何をやっているんだろう 」とか、「 この危機に、何も動けていな
いうちは、一体なんなんだろう 」という疑問になって、働きに対する
意識が揺れているらしい。この辺、東京の危機感とのギャップを感じる。
学校の校長が真っ先にグラウンドに逃げたという象徴的な話もあったら
しく、精神的にも、東京が揺さぶられているんだろう。この揺れの落ち
着く先はあるのだろうか?
えーっと長くなったので、つづく。