カメラも、パソコンも、これだけツールが進化してくると、各地各方面でちょっとした表現ができるようになってきている。写真1枚、企画書1つにしても、見た目をどうするか?ってことが問題になる。素人でも、やろうと思えばキレイにつくれてしまうからだ。
リッチコンテンツも増えてきて、絵だけでなく、音や映像を扱う機会も多くなっている。プロではないにしろ、ちょっとしたモノをつくってしまえるプチクリエイター的な人の数も、ひと昔前とは雲泥の差になっているに違いない。「 イラストレーターなら、まぁ、全部は知らないけど、ちょっとぐらいは使えるよ 」って人から「 映像編集は大学時代にやってたよ 」「 DTMで作曲してた~ 」「 ニコニコ動画に投稿したことある 」ってレベルまで、いわゆるクリエイティブ系な世界が氾濫しつつある。
もはや「 ちょっとしたものならつくれる 」が当たり前なのかもしれないなぁ、とさえ思う。
ただ、広がってはいるものの、リテラシーというか、表現の基礎というか、教養というか、そういう類のものはまだまだ理解を得られてないように思う。普段からだるだるの格好をしている自分のことを棚にあげて言ってしまうわけだが、「 うへ~ 」って感じることがたまにある。センスどうこうの話ではないんだけども「 もうちょっと見せ方、見え方考えようよ 」ってこととか、もっと根本的に「 表現するってのを意識しようよ 」ってなこととか。
それは、赤って色がどういう印象を与えるもので、って話でもあるし、自分が着る服のラインを意識してみるって話でもあるし、部屋の空間をどうつくるかって話でもあると思う。彩度の高い色を使っていくとポップだよね、とか、ユニクロのメンズはラインがいまいちになっちゃう、とか、ここに床を置くと、空間を区切れるなぁ、とか。そんぐらいの話なんだろうけど、イマドキそーいうのがわからない人が結構多いんじゃないだろうか?
この見た目を気にしない姿勢は、そのまま表現を考えないことにつながっていく。高校時代とかに「 制服着とけばいーだろう 」って怠けて思考停止してしまうようなもんだ。昔は社会に出ても「 制服みたいなもの 」( それは書式だったり、終身雇用制だったり、統一的な価値観だったり )があったんだろうけど、さすがに今は状況が違う。ちゃんと自分で服を選んで、過去に学びつつ表現していくことが求められてる。各自が表現を意識していく時代なんではないか。
なんか話が大きくなっちゃったが。
ツールが充実し、表現の自由度が広がる中で、表現についての基礎的な考え方や経験も必要なんじゃないの?ってなことが言いたかったのだった。「 僕、オシャレとかわかんないんで 」とか「 デザインとか無理ッス 」っていうのは、もはや「 算数できないんですよ~ 」ってのと同じレベルかもしれないのだ。そりゃあ、求められるクオリティの高さにはよるけども、考えられるか、意識できるか、知っているか、はセンスの問題じゃない。まさしく、基礎/一般教養の問題なのだ。
手軽になったのだから、願わくば、苦手意識をもって逃げるのではなくて、使ってみて、本当に表現する/伝えることの困難さに向きあう経験をするのがいいんだろうなぁ、って思う。ほんで、少しでいいから、デザインの考え方を知っておく。これからは国民総表現時代(?)みたいになってくるんだろーから、そんぐらいはしておいてもいーのではなかろーか?
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