「 社会の技術 」ってのがあるとすれば、どういうものなんだろうか?
臨床心理士の兄貴経由で、ほんのちらりとソーシャルスキルトレーニング
ってのを聞いたことがある。発達障害などで社会に適応できない方が、う
まく世の中に出ていけるように訓練する、みたいな内容だったように思う。
詳しく聞いたわけじゃないけど。 いわゆる社会人力をつけよう、的な何
かの線上にあるもんなんだと思う。
こういうアプローチの気に入らないところと言えば、既存の社会ってもん
があって、そこに順応していくべきだ、とまでは言わないものの、順応し
ていかないと生きていけないよね、的な前提に立っているとこだ。スキル
をつけるべき、とか、就職支援にしてもこの種の違和感は拭い去れなかっ
たりする。
それよりかは、適応できない人間が、自分なりの社会をつくり出した方が
おもしろそうだ。そのための技術、ノウハウならば、知ってみたいと思う。
そんなことを考えてて、ふと思いついたのが2ちゃんねるだったりする。
ネットの社会ってのは、ここ15年程度で出来上がってきたもので、はじ
めは文化も何も、真っ白な状態だったんだろう。今でもいろんなツールや
サイトが作られては、その中で新たなコミュニティ/社会がつくられてい
る。そこでの作法、振る舞いは、リアルな社会に適応できない住民たちの
やり取りの中で自然発生的に出来上がってきたものだと、考えられる。つ
まりは、その社会も、そこで通じるソーシャルスキルも自分たちで作り上
げたってことにはならないか?
ほんでもってもうひとつ重要なのが、その作り上げられた社会がどんどん
新たな要素を付け加えて変わっていった事だろう。『 アーキテクチャの生
態系 』でも指摘されていたんだけど、実は新しい人が入っていけるよう
な設計になってるんだろーな、と思う。コミュニティが硬直しないこと、
「 流れ 」があって、「 卒業 」があって、「 解散 」があること。
ほんとに、こういう変化や終わりを迎えることが大切だなぁ、って思う。
コメントや、スレや、つぶやきが、ただただ流れていくのも、発信者とし
ては切ないほどの消費スピードなのかもしれないけど、なんだか意味深な
気がしていたりする。
アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか (ちくま文庫)
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