今年もあとちょっと、って実感も湧かないんだけども、定番の振り返りとやらをしつつ、考えていることを1つ挙げておきたい。
さて、2011年。個人的には、今の職業を主軸にして動いた年だった。去年までは違ったんかい!!!ってツッコミには、違ったんだよ!と答えておこう。職と活動がここまで近くなるとは予想していなかった。所属外の活動が、所属内の事業に流れ込んできた。人のご縁ってのは不思議なもので、今やNPOのkimuraなのか、個人としてのkimuraなのか、わかんないことが多々ある。支援先が友達、支援先のボランティアスタッフが私、事業の講師が友達、などなど。
友達に助けられ、支えられることがとても多かった。ハイスペックな友人たちに感謝々々である。昔の師匠に「 遅くまで働いてないで、飲みに行ったり、遊んだりしなさい 」って言われてたのを思い出す。教えを守れた結果(?)なのかわかんないけど。あと、そんな奔放さを許していただけている今の職場にも感謝だ。程よい自由って、素晴らしい。
【 SFCnagoyaの校長、みぽりんにも講師をお願いできた 】
一方で、所属外の活動を停止したために、所属内でしか動けなくなったという面もある気がする。早く名古屋を出たいと願ってやまない私は、これでもかってぐらいに引きこもった。名古屋営業には蛍の光を流しっぱなしにしておいた。なんで、新たなご縁は少なかったと思う。後半からは、拠点のなさから、東京にも足が遠のいてしまった。絶賛彼女募集中(笑)新たな出会い、欲しいなぁ~と願うヒキニートの誕生である。
およそ4年ぶりぐらいにPS2を引っ張り出してRPGをやったのも、今年の特徴だ。思考的には、メディア・つながりってところから、表現・コンテンツ・世界観へと変わっていった。描き方に焦点をあててると、ゲームの凄さが少しわかるような気がした。アニメも含め、世界観を伝えるときの物語の強さみたいなものを感じる。演出ってどういうことなんだろう、、、実は12月に行った事業の活動報告会でも少し試行錯誤をしていたりもしていた。
【 パネルもつくったしなぁ いそがしかたー(;・∀・) 】
カメラについても装備が増えてきた。もっと増やしたい(笑)というのも、描くためのツールだから。人がその想像力をもってして、豊かさを感じるのであれば、イメージのチカラは捨てたもんじゃない。世界観もイメージや空気感、雰囲気で伝わる部分もすごく大きい。最も手軽で普及しつつあるカメラは、クリエイティブな社会でも1つのキーポイントになる。これを扱えるようになっておくのは(僕にとって)大切だ。そうだ、だからもっとレンズが欲しいんだ!!!(;・∀・)
失礼。。。m(_ _)m
真面目な話、ツールにはパーソナル、コミュナル、ソーシャルの3つの活用形態があると思っている。カメラは多くの人にとって、まだパーソナル、コミュナルなツールに近い。意外に、よい静止画像ってのはリッチコンテンツで、のびのびとアップできて、快適に閲覧できるソーシャルなサービスを僕は知らない。肖像を晒してしまうっていう問題もある。そういうのを超えてみんなが身の周りをよく表現・発信できるようになるとどうなるのか、ってのは1つ楽しみにしてることだったりする。
そして、一応大震災についても触れておく。と言っても、このブログにもつらつらと書いてきたので、1つだけ。今でも重要だと思うのは、情報インフラの堅牢化だ。災害が起きたときに、なるべく正しい判断ができるための情報を素早く届ける。これしかない、と思っている。「 災害検定 」をつくっって、10人に1人ぐらい緊急災害時対応認定者みたいな人を養成しておく。そんで、災害が起こったときには、その人が判断して叫ぶ。判断が間違ってるかどうかは、状況による。従うかどうかは自由。そんな仕組みを誰かつくらんかな~、と怠けつつ思う。
原発事故ではエネルギーとか「 持続可能 」ってことをさらに考えさせられた。「 福島の地域課題は、ビジネスじゃ解決できない 」って言葉は個人的名言ベストオブザイヤーのトップ10内には必ず入ると思う。市民ファンドだから、って理由で太陽光発電を広めているおひさま進歩エネルギーに取材に行けたのも、いい経験だった。反面、自分のエネルギー浪費は収まらない。。。震災以後、この浪費型ライフスタイルと持続可能性の板ばさみをどう処理していいかわからない人も一定数いるんじゃなかろうか?
最近「 持続可能 」には1つ決着をつけた。問いかけであるってことと、その言葉自体が他者を思いやる気持ち・雰囲気をつくり出すってことに気付いたからだ。文字通りの持続可能には違和感バリバリのままだけど、確かに、スローガンが醸し出す雰囲気なら、生きやすい。何かを残す、大切に使う。どちらも利己ではなく、利他なのだ。誰かを想う心ってのは、いい。
と、ここで歯切れが悪くなる。
そうなのだ。結局、愛だの、思いやりだのが正解っぽいのはわかる。だけど、何となく気持ち悪いわけだ(笑)愛情とか友情にはナナメでありたいわけだ。
ここが壁である。
ここ重要。
ここ、テストに出るよヽ(´ー`)ノ
つまり、ある1つの正解は見えてるのに、そこに行きたくないのだ。この構造は他のことにも当てはまる。例えば、農業。明らかに、都会での就職を見限って、田舎で就農した方が正しい選択に見える。いや、正しいと思う。でも、多くの人はそれができない。金銭面とかもあるけど、心情的にできない人が、絶対一定数いる。このジレンマである。
みんな仲良しがいい。みんな違って、みんないい、がいい。輪になって、笑顔で、、、って、
きーーーもち、わりぃぃぃぃ!!!(゚Д゚)
エコな生活、大切だけど、できねぇ。
人とのつながり、素晴らしいけど、めんどくせぇ。
地域密着、みんな笑顔だけど、なんかちいせぇ。
結局ココが受け入れられないのだ。くだらないプライドのせいか、これまで染み付いてきた文化的な何かが原因かはわからない。わかるのは「 それじゃない答えが欲しい! 」ってことだ。もっと利己的な面、ワガママな面、気持ち悪い面、そういうの含めて清濁合わせ飲んだようなところに辿り着きたいのだ。
【 知多半島はじまったな!大久保さんと「偏り」も大切って話もした 】
タイトルに掲げた「 自然に還れない人たち 」。
僕もその一員なのだ。これから私たちは、ある意味間違っていると知りつつ、進むことになる。それは明治時代に夏目漱石が悩んだような、時代の要請から仕方なく進む道ではない。むしろ時代の流れに背き、自殺していくようなあり方になってしまいかねないのかもしれない。
じゃあ、2012年。そしてこれから先。
どうするだろう? 人は何を起こしていくだろう?
私は当事者でありながら、傍観者である。プレーヤーじゃない。
ここまで書いといて、最後は他力本願なり。(-∧-;) ナムー
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