1月の前半、久しぶりに東京に行く機会があった。たしか前に行ったのは7月だったから、半年ぶりぐら
いだった。少し前まで震災の影響どうこうと言ってた気がしてたが、今回は何も感じるものはない。よう
やく落ち着いたというか、そこがスタンダードになったのかもしれない。
毎度々々のことだけども、東京に行くと驚かされる。コミュニティの豊かさとか、お金がたくさんある気
配とか、いろんな歴史が積み重なってきた雰囲気とか。街頭でナンパし続けるお兄さん、代々木に新しく
できた施設、廃材を利用した◯◯ブランド、と、ありとあらゆるモノやコトがごっちゃごっちゃになりな
りながら、ぐいぐいニョキニョキ起こって消える。まるで沸騰したお湯を見てるような気分にならなくも
ない。人のエネルギーが沸点を超えて集積している、ってことだろうか (;・∀・)
ありとあらゆるものがある環境、っていうと隣の芝生は青く見えるもんやで、って言われそうだけども。
すごく、特異点だと思う。日本の大半が「 ない中であるものを探そう 」としているのに、東京だけは
「 あり過ぎてウゼェ(゚Д゚) 」ってぐらいだ。そして、あり過ぎる場所ってのは、僕にとって生きやす
いところなのだと思う。ニーズも市場もあるのだから、投げれば何かしら返ってくる。変な人も多いし、
その分、知恵も価値も多様だ。ニッチな人たちに求められて生きていくには、こんな最適な環境はないん
ではなかろうか? と考えてしまう。
でも、今回は少し感じ方が違った。利点が反面、ほんのりイケスカナさ味を出してきた。
特異点過ぎる。そう思ったのだ。つまり東京にいる人は東京にいることによってその価値を高めているだ
けであって、他の地域に行ったときに通用しないのではないか?っていう汎用性のなさだ。もし東京が特
異点だったとして、東京の手法とかモデルがそこでしか成り立たなかったら、それは広められない。例え
ば、日本一のニートは東京でしか生きていけないんじゃないか。そこがなんとも、そんな環境ウラヤマシ
イケスカナイっていう複雑な気持ちを僕にもたらしたわけだ。
ちなみに、そういうモデルを広めるためには、それが成り立つための「 東京的な何か 」を広めるしか
ないんじゃないか、ってとこにも違和感がある。ビジネスモデルをいろんな場所に広めることを「 スケ
ールアウト 」って言って、そういうときに語られるのが「 地域適応 」って言葉だ。どこかで考えら
れたモデルが地域に馴染むように修正する。この考え方の、言わば逆アプローチみたいなことを思ってい
て、相互に影響しあうもんだとすれば東京手法/東京モデルが地域に適応すると同時に、地域も少しずつ
東京化していっているハズである。それも気持ちはわかるし、むしろ東京化して欲しいんだけど、一抹の
ナンダカナー感は感じてしまうのだ。
えっらい荒っぽいことを書いている。なにせ東京ってので一括りにしている。しかもその他はその他で一
括りにしている。ビジネスの話や、価値観の話もゴチャ混ぜである。これはイケナイ。こんなの無茶苦茶
だ。論の外と書いて、ロンガイである。
まぁ、シンプルに思ったのだ。東京の環境って特異過ぎて見習えないんじゃない?ってこととか、この環
境に慣れちゃうと他で生きていけなくなりそうってこととか、こんだけ人やお金や機会や場所などなどが
あるのウラヤマーってこととか。負けず嫌いだから、憧れるって言葉は使いたくないんだけども、やっぱ
りあの環境に住む経験をしてみたい、とは思う。あ、これに関しては、海外だろうと他の地域だろうとお
んなじで、割とどこにでも住んでみたくなるんやけどね。
m(_ _)m