meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

意見とか考え方が「偏る」ってどういうことなのだろう?

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 どうも。台風あけのkimuraです。松江は午前中に警報から解放されました。どんより雲は広がっていますが、至って落ち着いています。台風なんてどこえやら。道路に散った葉っぱや枝を見なければ、いつもと同じ平穏です。今日はひぐらしもないています。

 嵐が過ぎ去ったあと、わたしたちは速やかに日常を回復させようとします。振り子が戻るように、定位置に戻る。実は何かが変わっているのだけども、気づかないような素振りでいつものことを始めます。変化はその繰り返しの中で、徐々に徐々にすすんでいるのでしょう。

●◯。。。...

 物事の大凡はバランスなのだなぁ。安保関連法案の嵐が過ぎ去って、Facebookを眺めているとそんなことを思います。「強行採決」があったあとになってから、少しずつ報道が反対意見ばっかりを報じているとか、賛成派の意見も聞きたいとか、そういう言葉が目につくようになりました。つるの剛士さんがツイッターでそんなことをつぶやいて批判殺到したとかとか。かくいうわたしも、反対ばっかりじゃのー、と呑気に眺めておりましたので、こういう揺り戻しみたいな流れに一役買ってしまったのかもしれません。ま、役を買えるほどの影響力があるとは思えませぬが。( ̄ー ̄)

 嵐が過ぎて、バランスを取り戻そうとするかのよう。どうやら一定の割合で、偏りを嫌う人たちがいるようです。意見が偏ってはいけない。視野が狭くってはいけない。きちんと様々な方向から検討しておかなくてはいけない。その意識はとても大切だし、わたしもそんな気持ちで文章を書いている気がします。

 それにしても、「偏る」ってどういうことだ?

●◯。。。...

 意見や考え方が偏っている人って、どういう人のことでしょうか?

 この記事を読んでいただいている奇特な方、少しイメージしてみませんか。こういうときは具体的なイメージの方がいいです。別に「あなた偏ってます!」って言うわけでもないんだから、遠慮なくイメージしちゃいましょう。

 近所の頑固じじいとか、職場の上司とか、高校時代のクラスメイトとか、あるいはFacebookで見かける人とか。そんな感じで具体的にイメージしてみてください。どうですか?何か共通する特徴とかありましたでしょうか。

 たとえば。「子どもはゲームなんかしないで、外で遊べ!」は偏ってるでしょうか。「テレビはもう古い。インターネットの時代だぜい」は偏ってる?「体重増えてきたなぁ。ダイエットしなきゃ」はどうでしょう。「アメリカは日本の敵だ!」はさすがに偏ってるかな?うーむ、どうだろう。

 それぞれについて立ち止まって考えてみると、何が「偏り」なのかは意外と見えづらい気がします。ひとつひとつの言葉には確かに偏っていると感じるものもある。しかし、ちょこっと時間をかけるとその言葉の背景が見えていないから、どうにも「偏っている」と断定しにくくなるのです。

 偏りや狭さは、その人の端的な主張、結論からは推し量れません。検討した事柄の幅広さを知って、はじめて偏ってないなぁ、と感じられるのだと思います。

●◯。。。...

 ん?とはいえ、ですよ。

 どうもわたしの嗅覚は、偏った人を察知しているようです。多分、他の方もそんなセンサーを持っていると思います。偏ってんなぁ〜、って人はいます。激しい言葉、持論への固執、落ち着きなく、何か息せき切っている様子。そんなときに、わたしは「偏り」を感知しているようです。

 これはつまり「見失い」ではないでしょうか。自分の立っている場所がわからなくって、迷子のような状態です。藁をもすがる気持ちで単純な結論に飛びつくのか、自分を確立できないからこそ世界を自分に同化したがるのかは、わかりません。ただ、逆説的な言い方になりますが、どうも「自分の偏りを自覚できていないから偏る」ということのような気がします。

●◯。。。...

 ということで、どうやら2つの側面が「偏り」にはあるようです。ひとつは背景情報の不足、狭さ。これは字義通り、偏った情報しか見ていないことによって起こります。もうひとつは見失いによる自分への固執、硬さ。自分の偏りを自覚できていないことによって、起こります。これらが相互補完的に合わさって、習慣化すると「偏った人」ができあがるのかもしれません。

 わたしはどうやら、なるべくならそういう人は少ない方がいいなぁ、と思っているようです。だから。とりあえず一杯、お茶でも飲みましょう。感情の波をおさめて、自分はどういう方向に偏ってるのかなぁ、と考えてみませう。偏ってたっていいんです。誰かの当たり前は、常に誰かの非常識です。

 個人的には「偏り」を自覚している人の活動は、耳にも目にも入ってくるなと感じています。自覚がある人ほど、あまり押し付けがましくならないからなのかもしれません。

 

 

m(_ _)m

 

 

ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)

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