meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

教育評価をどうするか問題。適切なルーブリックはどうやって浸透させたらいいんだろう?

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 何を考えているやらkimuraです。当然のことながら、こんなことを考える身分ではありませぬ。ありませぬけども、目の前にひょこんと現れたからには、何も考えずにスルーするわけにもいきませぬ。自分、不器用ですから。
 ルーブリック問題が降ってきたのは、たぶん、だいたい一週間ぐらい前でした。教育も徐々に新しい風に吹かれているようです。ひと昔前にはルーブリックなんて言葉もなかったのになぁ、などとしみじみ思いました。

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 このルーブリックというのは、簡単に言えば新しい成績表みたいなもんです。MOOCとかで受講生の相互評価のために使われていたりもします。従来つかわれてきたテストやレポートの点数ではない評価基準のことで、「◯◯ができている」というような具体的な文言で評価基準が示されているのが特徴でしょう。いわゆる社会人基礎力とか、そういった漠然とした力・スキルをどうやって評価しようか、と考えてつくられた尺度のことです。今流行の、アクティブラーニングとか、プロジェクトベースドラーニングとか、そんな系統のなんだかんだはこのルーブリックを使って評価するのがいいんじゃないかと言われています。たぶん、そのハズ。
 実は、このルーブリックを見たときにふと思い浮かんだのは人事評価だったりして、会社の人事評価基準はそれぞれの会社の理念に照らし合わせたり、具体的な業務内容に沿ってつくられてると思うのですが、それを一般的な表現に修正したのがルーブリックと言えるかもしれません。なので、個人的には人事評価と教育評価を結びつけて開発していくのがいいんじゃないかとか、そんなことは感じているので、もしよかったら誰かやってみてください。
 まぁ、そんなことやったら、日本の教育は職業訓練校じゃねーぞー、と非難をいただくかと思いますので、お気をつけて。いろいろと大人の事情はございまっさー。ヽ(´ー`)ノ

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 さて、あれやこれやの事情が絡まってのルーブリックですし、わたしが何かをするわけではございませんが、せっかく機会があったので見逃しせずに考えてみたいと思ったのでした。
 徐々に活用が広がっているルーブリックですが、大きな問題は「ルーブリックの妥当性」です。つまりは、今までのやり方で評価していたのに、新参者のルーブリックが入ってきた。お主、何者じゃい!ということです。これで評価するといい感じなのよ、ということが証明されなければなりませぬ。
 課題解決力とか、コミュニケーション力とか、そんなことを計測しようとするのがルーブリックというやつです。なので、客観性の確保がものすごく難しいのですな。誰が評価したか、いつ評価したか、どうやって評価したか、そんなことによって、やたらに結果が揺れ動いてしまいます。かなり具体的な文章で「◯◯ができていた」とかつくり込んでも、テストの点数よりは主観的でしょう。では、そんなルーブリックで個々人が評価されるのは妥当か否か。どうでしょうか。

 考えてみれば当然の話ですけども、もともと先生と生徒の相性ってのはありますし、排除できません。上司と部下の相性だってあって、それも含みで評価し、評価されているのです。それが世の中じゃい!と言ってもいいのかもしれません。しかし、そこであきらめてしまえば「先生の絶対王政」が出来上がってしまいかねません。オーナー企業の人事評価が社長の気分なのと同じです。よほど賢明な社長でなければ、腐敗まっしぐらです。

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 以上を考えると、面倒臭いことに「ルーブリック評価を評価する」必要がでてきます。ルーブリック評価評価委員会です。あーややこしい。この評価評価委員会的なものが「このルーブリックいいやんけー」と太鼓判を押すことで、ルーブリックの妥当性が確保される、と考えるわけです。
 ちらっと調べたところによると、ルーブリックについてのメタルーブリックなるものをつくってルーブリック評価評価委員会的なものとするのはどうか、という話も出ているようです。定期的に人事評価基準を企業理念に照らし合わせて確認するようなもんかなと思います。ややこい構造ですが、当然こうなるような気もしますね。
 ただ、評価評価委員会にしても、メタルーブリックにしても、結局穴は塞ぎ切れていません。客観性を確保しようという努力で、漸近線のように客観に近づいてはいますが、そこに辿り着けない。そんな運命と書いてさだめと読む何かです。ここを如何に飲み込むか。
 日々大変な思いをしているらしい教育の現場で新しい尺度だよーっと言って持ち込んで、ちゃんと運用できるレベルに持っていけるかどうかは、現場の納得次第です。こりゃーいいもんだべや、うちでも使うべ、いやー、よかったべさー、と言ってもらえるように持っていかねばなりません。ルーブリック推進側としては。頭の痛いところです。
 同じことを書いてしまいますけども、個人的には、その糸口は企業との連携にあるのではないか、とは思います。企業がいいという評価方法なら、現場もうんと言わざるを得ないでしょう。職業訓練校として開き直ってしまえば、大学も人材育成センターとしての活路を見いだせるかもしれません。文系の先生とか窮地に立ってるなら、企業の人材研修請け負ったらいいのにとか、ちょこちょこ思ったりはしています。それは別のお話ですけども。

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 つらつらと長文を書いてしまいました。一週間程度のちょこっとカジリでこんなことを書いてしまえるのがインターネット時代のいいところですな。自由に気ままに書かせていただいてます。m(_ _)m
 いろいろと書きましたが、「これからはルーブリック評価の時代だ」ということはハッキリしていると思っています。センター試験改革の話もあちらこちらから聞きますし、私立を中心にそういった評価に対応できる教育がはじまっているようです。これからルーブリックへの理解も、ブラッシュアップも急ピッチですすんでいくことでしょう。
 また、だからこそ、本当に適切な評価をしているのか?という視点を常に持ち続ける姿勢を、ルーブリックというシステムの中に組み込んでいく時期でもあるのかもなぁ、などとは思いました。あ、でもこれは、今の成績システムでも同じことかもしれませんが。(;・∀・)

 


m(_ _)m