春、新年度である。卒業、入学のシーズン。この春から大学に入るという人もいるだろう。子どもが大学に行く、という親御さんがあれやこれやと心配する時期だ。さぁ、これから新しい生活がはじまる。どうなることやら。期待と不安が入り混じる雰囲気があちらこちらから流れてきているのを感じる。春である。
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そんな時期にこんなことを言うのもナンだが、大学の授業はツマラナイと思っておいた方がいい。その方が身のためである。いや、全部が全部ツマラナイなんて言うつもりはない。中にはおもしろいものもあるかもしれない。ただ、学生の前に立つのは先生でも教育者でもなく、教授や准教授などと呼ばれる人たちであって、その本分は研究である。多くの研究者にとって、授業はめんどくさいものだという。事実、めんどくさいのであろう。ひどい場合には「教える気あるのかこいつ?」なんて感じることあるのが普通である。高校の授業と比べても段違いにツマラナクなることを覚悟しておいた方がいい。
大学が職業訓練校になるとか、社会人基礎力がどうとかいろいろと言われてはいるが、社会の変化、ニーズの変化に体制は追いついていないのが実情である。特に国公立大学の経営にそんな機動力はない。組織としては「教育」へと重きを置いていかねばならぬ状況を冷静に見られているわけではなく、研究していればよい、と考える人も多い。要は、まだ教育サービスを提供する教育機関にはなっていないのだ。ゆえに、学びであったり成長であったりも、口を開けて待っているだけでは勝ち取れない。教えてもらえると思っていたら大間違いで、その穴にはまると最悪心を病んで抜け出せなくなる。応急処置的ではあるけども、自分で身構えておく必要がある。
学びたいことは自分で見つける。やりたいことは自分で見つける。サポートが欲しいならば、裏道が必要ならば、周りにいる人を巻き込んで戦略を練るしかない。友達をうまく使わなければならない。その上手さが大切になってくる。
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少し考えればわかるように、大学にいる研究者が「教育者として学生を管理」したり、「学生が社会に出るための基礎力を養成」したりすることなんてできるわけがない。いや、できる人もいるし、みんながみんな教育にそっぽを向いているわけではないのだけれども、研究者は研究者としてのトレーニングを受けた人たちなのであって、教員免許を取得しているわけじゃないことは見逃してはならない。また、社会人として働いた、サラリーマンをした経験がある人がどれだけいるだろうか。そう考えれば、社会人基礎力だとか、就職訓練学校だとか、そんなことはどだい無理だとわかるはずだ(だから教育に舵を切ろうとしても切れない)。
繰り返すようだが、今の段階で、大学に教育を期待すること自体が間違っている。きちんと教育を受けたいのであれば、専門学校なり、教育体制が充実している私立大学なりに行った方がいい可能性だって高い。そのことは覚えておいて欲しいなと思う。
大学に入って、何か違うな、と思ったならば、勝手に動けばいい。やりたいことが実行できる環境にはなっている。レールに縛られず、「みんなと同じ」に縛られず、飛び出てみたらいいのだ。大学は、それができるところにはなっているはずだ。
m(_ _)m