meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

ゴールデンウィークの10連休に何をするのか問題。

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 日本人は本当に休むのが苦手なのだなぁ、などと思ってしまう。夜、NHKラジオでは今年のゴールデンウィーク、10連休に対する賛否が話題になっていた。10連休があると困る、という人もいるらしい。
 サービス業の人が忙しいのはわかる。ただ、そればかりでもないようで、番組では主婦からの不満の声も紹介されていた。曰く、旦那や子供がずっと家にいて、朝・昼・晩とごはんを作り続けなければならないのが大変なのだそうだ。
 まぁ、確かにそれはそれで大変なのだろうとは思うものの、なんだかなぁ、家族と一緒にいられる時間ができることを喜ばしく思えてもいいんじゃないかなぁ、とは感じてしまった。家事もひとりで抱え込むもんでもなかろうが、いや、そういう事情は家庭によって違うもので、理想的なことばかりが通じるもんでもないのだろう。
 ラジオで紹介されていたデータによると、10連休に対する賛否はだいたい半々とのことだった。医者や弁護士などの専門職、自営業、パートやアルバイトの人にとってはしんどいものにもなるという。
 日本人は働き過ぎだ、バカンスを導入すべきだ、とか言うわりには、休みがとれたらとれたで不満が出てくる。いろんな人の事情を十把一絡げにしちゃうから妙な話に見えてしまうのだろうけども、それでも、やっぱり、妙な話に思えてしまう。

●◯。。。...

 これはわたしの感覚だけど、これだけの長期休みをどうやって過ごしたらいいのかがわからない人がそれなりの数でいるのではないだろうか。そういった戸惑いとか、道標ない不安とか、旅行に行くにもお金はかかるが使うお金がないのよー状況とかが、10連休への不満につながっているような気がしないでもない。
 サラリーマン稼業は、仕事に行ってそれなりに過ごしていればお金が入る仕組みであって、ある意味では気楽だ。やることは決まっている。お金は稼いでいる。何も問題はない。一方、長期の休みは自由で消費的だ。やることは決まっておらず、お金は出ていく一方である。実際には、月給制と考えれば出ていくばっかりなわけでもないのだけれど、どうしても消費量は増えてしまう。どっしりした日常と比べれば、長期休暇はふわふわしている。
 自分で予定を立てなければならない。やることは家族で決めなければならない。調整も必要だし、決断も大切になる。さぁ、どうするか。その組み立てに、責任の引き受けに、わたしたちは慣れていないような気がするのだ。
 これが盆正月なら、実家に帰省して、お墓参りをして、などなどのルーティンに沿って変化球を投げられる。セオリーがないから、遊びもつくりにくいのかもしれない。

●◯。。。...

 そういえば、プレミアムフライデーとか言ってたときに退社後の過ごし方モデルケースみたいなのをどこかが発表していたような気がする。経産省だったかな。自由な時間をどう使っていいかわからないから、そういう道筋を示すってのは、なんだか情けないような気もするけど、国民性的に仕方がないのかもしれない。
 個人的には、寝て過ごすもよし、ゲームしまくるもよし、大作小説に挑むもよし、休みなんだからそれぞれ好きに使ったらいいやないの、と思うのだけれど、たぶん、そうも言ってられないのが日本人の日本人らしいところで。どこかしら周囲と比べてのリア充感を求めたりしちゃって、家にこもってたらああもったいないとか言ってしまったりするのだろう。もったいないかどうかは自分の考え方次第だ!なんて強くは思えないもんなのだ。

 さて、そんなことを書いているわたしも、まだ予定は未定でちょっと戸惑っている。なんせ、とりあえず本当に10連休なのかどうかがわからない。休日出勤の可能性があるということだけがわかっているので、どないせーっちゅうんじゃい。って、言っても、先に予約とか取っちゃって「出られません」と主張したらいいもんではあるので、つまりはやっぱり10連休に何をするのか問題に囚われている感じである。
 青ヶ島への上陸にチャレンジするという案が出たのだけども、否決となった。3日ぐらいかけての集中講座とかに出るのもいいなぁ、なんて考えつつ予定を探している。ボランティアとか仕事をとってみるとかしてもいい。山には登るだろうし、写真も撮るだろう。
 何にせよ、それなりに過ごすことができる気はしている。長い休みには結構慣れているのである。

 

m(_ _)m

 

 

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