meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

試験勉強してると、その出題範囲が自分の庭になっていく感覚がある。

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 勉強法の話を少し。
 ここ2ヶ月程はIPAのデータベーススペシャリスト試験に向けた勉強をしている。まぁ、そんなに簡単に受かるものでもないだろうから、とりあえずの目標である。標がないとなかなか学習が進まない、ってのは、自分の弱点でもあるかもしれないけれど、事実そうなのだから仕方がない。なんとはなしに、データベーススペシャリストめがけて勉強しているのである。
 データベースについてはおおよそ素人に毛が生えた程度のものであった。なので、参考書を買ってペラペラと読んでみたはよいが、理解は追いつかない。ふーむふーむと唸ってみても、情報の塊が大き過ぎて飲み込めない。大きな波を乗りこなせない。最初はだいたいこんなもんである。

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 大き過ぎる情報の塊を、ちょっとずつ咀嚼していく。噛んでいくと、だいたいどこに何があるかがわかってくる。その分野の地図が頭の中で描けてくるようになる。そんでもって、さらに飲み込んでいけば、そこは自分の庭になる。あれだけ広かった範囲が、大きかった情報の塊が、いつの間にかとても小さく思えるようになる。そこまでくると、少しは仕上がってきたかなぁ、って感じになる。
 この感覚は、たぶん、受験勉強とかでも同じで、問題を見たときに、ああ、あれをこうしてこう使えば解けるよね、とスグにパーツが思いつくようなものである。数学だろうが、英語だろうが、古文・漢文だろうが、そうやって飲み込んでしまえていれば、そこは庭なのだ。どこを突かれてもよく知っている空間だから、それなりな馴染みを持って迎えられる。勉強ができる、テストで点数が取れるかどうかは、この感覚になれるかどうかがキーポイントになるのだろう。
 そして、これもたぶん、おそらくの話だけど、結構多くの人がこの感覚にまで持っていけずに情報の波に飲み込まれてしまっているのだろう。なんとなーく、高校時代なんかを振り返るに、広大な出題範囲を前にして呆然としてしまう友達が多かったように思う。それを「とても広くて自分の中には収められないもの」としか認識できなくなって、噛もうともできずにいるような、そんな感じがあった。
 きっと、それがまず最初の、乗り越えるべきハードルなのだろう。飲み込めないと思ったものは、飲み込めない。大きな情報の塊を目の前にしても、まぁ、なんとかなるのだろうと、気楽に構えて噛んでいく方がよいのだ。今は手が届かない広さであったって、やってみたらそのうち自分の庭になる。それぐらいに思っておかないと、とりあえず噛んで、わかるところから理解していこうと思えない。

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 そんなこんなで、データベーススペシャリストに立ち向かってみている。まだまだ溺れているけど、波の方向ぐらいはわかるようになってきた。このまま続けていけば、ここも庭になるのだろう。ただ、そこまでするには時間が足りない。試験ってのはそういうもので、はてさて、ちゃんと間に合うかどうか。
 まぁ、必須で取らないといけない資格でもないし、それなりに気楽にやっていけばいいのかもなぁ。

 

 

m(_ _)m