meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

データ至上主義の現代

 岐阜には雪が降った。今日は今季一番の寒気が流れ込んでいる。今朝から積雪。ニュースでは14cmと言っていたが、まぁ、そんなところなんだろう。足がズボッと雪に埋まる。移動はなかなか大変である。明日の圧雪が怖い。
 年始から何冊か本を読んだ。その中の1つ『超デジタル世界』に、データ至上主義って言葉が出てきた。データ至上主義。データドリブンを目指す社会の中で、なかなか味わい深い言葉だと思う。エビデンス信仰と言い換えられるかもしれない。データの権力が高まってきていることを、もう少し意識しておくべきなのだろう。

●◯。。。...

 『超デジタル世界』はかなり薄めの新書ながら、読むのに苦労した。意外と思想的な話が多い。よくわからないところは飛ばして読んだ。ただ、なんとなく、実存主義から構造主義に移り変わっていく過程で、あらゆるものが相対化されて、わたしたちが不安になっていった、という流れが頭に残った。
 構造主義構成主義が世の中にどれほど受け入れられているかはわかんないけど、たしかに、自分なんてものはなくて、関係が全てで、あっちの現実とこっちの現実は違っていて、なんて考えていくと、ふわふわして、どこか、確かなものにすがりつきたくなる。
 相対化の洪水の中で、絶対的なのはデータだった。経験している現実が違い過ぎるから、データは他者とのコンセンサスの基盤にもなった。こうしてデータは共通言語になる。ファクトが全てを物語り、意見は事実に道を譲る。
 言われてみれば、なるほどで、健全なようでいて、危険が潜む流れだなと思う。データを元にした議論は建設的だけど、さて、本当にそれでよいのか、どうか。

●◯。。。...

 わたし自身はデータが好きなので、まぁ、あんまり疑いたくはない。とはいえ、データを扱うものとして、データ至上主義という指摘は軽視できない。わたしたちは、もうちょっと曖昧なものに慣れておくべきなのだ。
 特に、これから、データやエビデンスさえ信じられなくなる世界がくることを肝に命じておかなきゃならならい。すぐそこに、いや、もう既に、フェイクニュースの世界に突入しているのである。高度なダマシは、容易に見抜けるものではない。いくつかの情報源をあたって、比較して、それでも続く、イタチごっこがはじまる。
 NHKが言ったから、大丈夫。はて、それは本当にNHKだろうか。極端な話、そんな世界だ。情報を受け取った瞬間に、一旦保留しないといけない。事実であっても、まず考える。すごくカロリーを消費する。めんどうくさい。けど、しょうがないのだと思う。オートマチックじゃいられないのだ。
 ただ、こういうスタンスも構造主義っぽい気がするわけで、それができないからこそのデータ至上主義なんであって、ふむ、状況は難しい。至上主義がダメだからといって、データを無視した議論なんて聞きたくもないし、結局は付き合い方のバランスなのである。バランスって、大事。



m(_ _)m