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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

この秋から冬にかけて撮った紅葉の写真をあげておこうと思った。

写真

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 いくら何でも更新してなさ過ぎである。なんだかんだとやることがあったり、イベントの運営とかが終わって遊びまくってたり、単に寒くて冬眠したかったり、編集学校の物語講座で課題に追われてたり、そんなこんなあろうけども、だ。流石にブログをほっとき過ぎた。書き方を忘れてしまいそうなぐらいだ。
 なので、紅葉の写真でも貼ってお茶を濁そうという魂胆である。( ̄ー ̄)
 12月も半ばで、朝、玄関から出たら車の上に雪が積もっていたような、そんな季節に遅ればせではあるが、ちょいちょい撮ってた紅葉を虫干ししておこう。

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 島根の冬は雨が多い。特に今年は多いような気がする。秋から冬にかけての休日はほとんど雨だったような気がする。ざっと降って、気まぐれに晴れる。晴れ間は貴重で、だから気持ちがいい。紅葉狩りのタイミングも、結構難しかった。

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 島根の清水寺に行ったのも勢いだった。午後からの予定を気にしながら、駆け足気味でまわる。それでも三重塔にまで登れて大満足であった。古い造りの三重塔は、階段がめっちゃくちゃ急で、狭くって、それだけでも立派なエンターテイメントだと思った。

 

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 葉っぱもいろいろな色があってキレイである。紅葉の最盛期には、ちょっと早かったのかもしれないが、それはそれでよかった。


 そして、お次は鰐淵寺の写真。このときには紅葉も終わりかけだった。ちょっと残念。

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 ただ、この日はすんばらしく晴れ渡っていた。山頂に残っている紅葉は、散り際でも美しかった。足元の落葉は、雨でぐしゅぐしゅになっていたけど。(;・∀・)

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 出雲大社まで行く人は多くても、出雲大社の裏っかわまで行く人はそう多くない。だけど、そういうところに残っているものがあったりするのだろうと思う。日本海の海岸沿いから車で5分ほど登った所に、こんな景色があったのだった。

 

 

m(_ _)m

 

 

使ってたカメラとレンズはこちら。(すっかりNikon党員)

Nikon デジタル一眼レフカメラ D610

Nikon デジタル一眼レフカメラ D610

 

 

  

 

経済を否定しないこと。【BOOK在月 一箱古本市】

本のこと

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 個人的に怒涛の10月が過ぎて、気がつけば11月になっていました。その間にひとつ歳もとってしまい、アラサーも第四コーナーをまわってきた感じです。こんな年齢になるとは思っていなくて、それでも生きていればこうなっちゃうってわけで、如何ともしがたい微妙な心持ちです。はふぅ。
 さて、そんな10月のメインイベントといえば、BOOK在月の本編、一箱古本市でございました。運営として関わるのは2年目です。まぁ、よくこんなわちゃわちゃとした中で、何の整備もせずにやっとるなぁ、という印象が強くあるわけですが、えーっと、しかしながら、自分で言うのも恐縮ながら、いいイベントだったなぁ、などと顧みたりもしています。出店者の協力もたくさんいただいて、あたたかい雰囲気のある場になったかと思います。

●◯。。。...

 改めて考えてみると、あの一箱古本市という仕組みは、なるほど、よくできたものでして、あれはいわばゲレンデなのです(すんません、この喩えは『ツインコンビネーション』読んでないとわからない)。えーっと、つまりは、会社ゲーム的なのであって、キッザニアみたいなものです。ちょっとした市を立てて、それぞれが古本屋さんごっこをする。フリーマケットと言うには、儲け感も商売感もないし、そもそも扱う商品は「古本」オンリーなので、ある意味かなり偏った人たちが集まる場になります。その趣味と商いのバランスが絶妙で、本を売るという動機づけが、うまーく趣味の話をするというコミュニケーションへと導いていくようないかないような。そんな感触がありました。
 趣味ばかりでは交われない。あくまでお金の、それも現金のやり取りがある。だから出ている本を真剣に見つめるし、出店してる側はその目を受け止めなきゃならない。そこに、自分の好みやこだわりも入ってきます。自分の好きな本が売れずに残ることもある。いわゆる売れる本ばかりが売れてしまうこともある。はー、世の中って難しいなぁ、なんて気持ちにもなって、でも、次はどういう戦略でいこうかなんて考えたりしてしまう。それはやっぱり楽しいことであって、「経済」ってのはそういうもんだったのではないかなぁ、と思ってもしまうのです。
 ちなみに、古本屋ごっことはいえ、売れる人は売れます。え、そんなに売れたの?ってぐらいの売上になることも。一冊100円とかで売ってたら、まぁ、届かない境地があります。そこに至るには、どうすればいいか。考えてみるのもおもしろいものです。

●◯。。。...

 資本主義ってのは、だいぶと嫌われ者になっちゃったのですけども、多分、本来は嫌われるべきものでもなかったのだと思います。お金には扱い方があるし、捉え方がある。あんまり忌み嫌うものとして遠ざけるんじゃなくて、うまく付き合うための、その姿勢を身につける方向に向かってゆくといいのではないかなぁ、てなことを少し感じた次第でした。

 それにしても、みんなが出してくる一箱の世界は楽しいですな。


m(_ _)m

 

 

一箱古本市の歩きかた (光文社新書)

一箱古本市の歩きかた (光文社新書)

 

 

休日なのに、今日は一体何をやっていたんだろう。。。

ゆるい生活 雑記

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 気がつけば、もう17時である。休日の時間というのは、不可解に速く過ぎる。ついさっき(昼寝から)起きてきたところだというのに。何もしないままに日が暮れてゆく。特に1人で過ごす休日は光速で過ぎる。今日は一体、何をしたんだっけな。

●◯。。。...

 たしか、朝はそれなりに早く起きていた。6時半過ぎにはのそのそと起きて、朝ごはんをつくり、7時半ごろには食べ終えていたようである。そのあと、朝ごはんの片付けをする。洗濯をしたのは、片づけた後だったか。洗濯機に洗濯物をどばどばどばっと入れて、ピッピッとボタンを押す。ただ、前に干してあった洗濯物がまだかかったままだから、この間に取り入れてたたまなければならない。のろのろとハンガーを手に取り、ひとつひとつをそれなりにたたんでいく。
 ふぅ。ひと息つく。今日は晴れているから、外に洗濯物を干せるなぁ、とか思って裏庭に出ると、木がやたらめったら上に伸びていた。なんかこのままだと危ないんじゃないかという話は前から聞いていて、ああ、これは何とかしておかないとなぁ、などと呟きつつ、高枝切り鋏を取ってきてしまった。こうなるともう、切るしかない。
 想像以上に高く伸びた木、それも、なぜかしらんがすんごいトゲトゲの木である。肌に触ると普通に血が出る。めっちゃ危ない。この木の処理を後回しにしてしまったことを後悔する。枝は高すぎるので、根本の方の太いところから切らねばならぬ。何度か高枝切り鋏で挑戦したが、掴んで引き下ろすことはできても、切ることはできなかった。握力も限界。引き下ろしたところで、棘があるから手で持つこともできない。鋏の口を開ければ元の位置に戻ってしまう。こうなりゃ、鋸だ。
 外に洗濯物を干すはずが、鋸まで出すハメになった。当然のごとく、もっと下から枝を切り出さなければならない。鋸で届く範囲は高枝切り鋏のそれよりも限られている。細い枝と棘で鬱蒼としたエリアを切り分け、枝の根元にたどり着く。鋸をひく度に木の粉が顔に降ってくる。なかなかにハードな剪定になってしまった。

●◯。。。...

 高枝切り鋏と鋸を片づけたら、もうヘトヘトだった。鋸を使っていた右腕は、棘と虫にやられてぼこぼこになっていた。洗濯物はまだ干していない。とりあえず干すところまではやろう。折りたたんでいた洗濯物干しを引き出し、洗濯機から洗濯物を取り出し、ハンガーを用意して、改めて裏庭に出る。うごきは緩慢である。
 やっとこさ終えて部屋に落ち着く。掃除もしようかと思っていたが、あきらめた。ここまでで11時にはなっていただろう。ニコニコ動画でアニメを眺めていたら、間もなく睡魔に襲われて、気がついたら間もなく14時である。お昼ごはんも作らなければならない。袋ラーメンで適当にすませる。頭を起こして、お腹を落ち着かせ、部屋が雑然としはじめていたので少し片付ける。洗濯と一緒に肌掛け布団も干していたことを思い出し、陽に当てるためにひっくり返す。
 さて、やっと何をしようかなと思える状態になってきた。手元には『銀河英雄伝説』の6巻が転がりこんでくる。だいぶ後半まで読んでいて、あとちょっと、という誘惑に勝てず、終わりまで読んでしまう。おもしろい。読み終えて、16時。月曜から始まる編集学校の物語講座の方向へと気が向かい、ちゃんと申し込めてるんだろうなぁ、と過去のメールを漁り、ホームページで情報をチェックして、としていたらいつの間にやら17時に近くなっていた。
 何かできているようで、何もできていないような、そんな感覚にとらわれた。

●◯。。。...

 今日のハイライトは明らかに「枝切り」だったなぁ、と思い返す。だが。それにしても、だ。家事とは大変なものだ。真面目に炊事洗濯掃除をしていると日が暮れてしまう、と心底思う。みんな、よくこんなことを毎日やっているもんだなぁ、とか、思ってしまう。

 

m(_ _)m

 

 

安心ひきこもりライフ

安心ひきこもりライフ

 

 

 

ひとりでもできるカメラ遊びを考えてみた。「One Shutter」

写真 ワークショップ

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 2年ぐらい前には思いついていたけど、1回もやらずに、どこにも発表せずに、頭の片隅にあるらしいお蔵にずーっと寝かせていた「ひとりカメラ遊び」を書いておこうと思う。名付けて「One Shutter」。ちょっとカッコつけてみた。概要は以下の通りだから、やりたいなと思ったら暇つぶしにやってみればいいと思う。

One Shutter のやり方。

 やり方はとってもシンプルである。まずは一眼レフなり、コンパクトデジカメなり、スマホなり、何でもいいからカメラを用意する。せっかくなので、気合いを入れた本気モードのカメラで遊ぶのがいいと思う。
 用意ができたら、写真を撮る。ただし、ここでとっても大切なルールが立ちはだかる。その日、1日で切れるシャッターは1回だけとするのだ。1回しかシャッターボタンを押せない。つまり、1枚しか写真は撮っちゃダメである。失敗したからと言って、撮り直しはできない。何枚か撮りながら感度とか色温度とかを調整するのもナシ。この際、RAWで撮るのもやめておこう。緊張感がないとおもしろうない。さぁ、こうなったら何を撮るだろうか?

 撮影が終わったならば、次はシェアである。これも One Shutter という遊びのルールと考えて欲しい。撮った写真は必ずシェアされねばならない。facebooktwitterinstagramなどなどのSNSに無加工でアップする。取り繕わずにどーんと撮って出し、ということである。気合いの一枚をフィルターなんかで濁らせちゃ勿体ない。当然のことながら、アップするSNSはより人目につくSNSの方がいい。マイナーなSNSにあげても、あんまりおもしろくなかろう。
 アップした写真には、コメントも添えることにする。言い訳を中心として、感想とか、意図とか。何を被写体にしようとして、どんな瞬間を狙って、もしくは偶然で、撮ったのか。それがわかると原因と結果のつながりが見えるもんだと思う。
 でもって、ハッシュタグなんかをつけると更に楽しくなるかもしれない。「#OneShutter」とかでいいと思う。もしかして、他にこの遊びをしてる人がいたら、写真を覗きにいくことができる。

 失敗しても全然かまわない。むしろ、その方が楽しめる気がする。


 以上の要点を整理してみると、

1)シャッターは1回だけ
2)撮った写真は無加工でSNSにアップ
3)感想などのコメントとハッシュタグをつける

 ということになる。やろうと思えば明日にだってできる。今日写真を撮ってなければ、今日でもできる。やってみたい人は暇なときにでも、どうぞ。

なぜに One Shutter ?

 シャッターというのはそれ自体が魅力的なもので、ついつい何度もボタンを押してしまうものである。特に、わたしみたいにシャッター音とか、ミラーショックとかにドキドキしてしまう輩は、メッタヤタラと撮りまくって、えへへと写欲を満たしてしまう。そうして量産される写真の中には、おやっと思うものも出てくるのであるが、やはり、そんな撮り方一辺倒ではいけないという気持ちもあったのだ。
 要は、今のシャッターは軽すぎるのだ。尻軽じゃいけぬこともある。フィルムの時代は、1枚々々にお金がかかった。その一瞬々々が勝負だったに違いない。
 そんなことを考えていたときに思いついたのがこの遊びだった。デジタル時代の特権をかなぐり捨てると、どんな感覚になるのかも知りたかった。そのくせ、まだ自分でやってみたことがないということは、わたしはシャッターの呪縛に、誘惑に、回数制限のない自由さに、縛り付けられたままだということを意味している。うーむ。
 昔、撮り鉄さんから first shutter という言葉を聞いた。新しく買ったカメラで撮る、最初の1枚のことらしい。恥ずかしながら、テアタリシダイ派のわたしはそんなことを考えたこともなかった。買ったらスグ、攝り始めていた。撮った分だけ、買った甲斐があると信じて疑わなかった。だから、first shutter の気概には、憧れを感じたのだった。

 さて、ここまで書いたのだから、わたしも暇な日を見つけてやってみようという気になるかもしれない。そんでも面倒くさがってやらないのかもしれない。。。(;・∀・)

 

m(_ _)m

 

 

昼の学校 夜の学校+ (平凡社ライブラリー)

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類語辞典が欲しい。

文章 ライティング 雑記

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 と、思っている。なんでまた類語辞典かというと、まだ持ったことがなくて、使ってみたいからだ。単純明快、てか、今まで持ってなかったかんかいな、と自分にツッコミをいれたいぐらいである。
 もちろんWeblioとかは使ったことがある。わりとヘビーユーザーかもしれなくて、文章を書いているときにはちょくちょく言葉の意味を調べている。書いているときに意味がわかっていない言葉がなぜ思い浮かんでくるのかは謎だけど、あやふやなままで使うわけにもいくまい。なので、わたしが文章を書くときには常にオンラインであることが大切だったりするのだ。WiMAXを手放せない理由はそういうところにもあったりする。

●◯。。。...

 それはともかく、類語辞典である。意味の似た言葉をたくさんに連ねてある、そのパワーを自分の中にインストールしてしまいたい。そんな欲望に駆られている。(ちなみに、この場合、買っただけで満足して活用されないという愚の典型パターンに陥る危険が非常に高い。家の中にはまだインストールされていないソフトウェアがたくさんあるだ。ああ、もったいない)
 そんなわけで、まずはリサーチである。「とりあえず検索」ができるのは現代っ子の特権なのである。「類語辞典」で調べると、WeblioなどのWebサービスがたくさん出てきて邪魔であった。「類語辞典 おすすめ」で調べてみると、「おすすめ」の同義語が出てきた。違う、それじゃない。
 求めているのは、何となく、やっぱり紙の辞典なのであって、インターネット上の辞典でもないし、アプリでもないのである。ちょっとアプリは気になるけど、手元のiPhoneで調べたりできるのは興味があるけど、ここは古風に、真っ当に、紙の辞典を使ってみたいのだ。ほんとに使うかどうかは別にして。
 こうやって、1ヶ月ほど思いついたときに検索をかけて、ちょいちょいと探索をし続けた結果、たどり着いたのが以下の記事である。結局、千夜千冊なのかよ!と自分にツッコミを入れつつ、読んでしまったからしょうがない。

 

775夜『角川類語新辞典』大野晋・浜西正人|松岡正剛の千夜千冊

 

 ふむふむ。『角川新類語辞典』がおもしろいらしい。ふむふむ、むむむ。

角川類語新辞典

角川類語新辞典

 

 しかし、この辞典、1981年の出版である。これはちと古いんでないかい?と疑いたくもなる。新版はないのかしら?と下にスクロール。ここでAmazonの罠にかかってしまうわけだ。待ち受けていたのは『てにをは辞典』だった。 

てにをは辞典

てにをは辞典

 

  レビューを見るに、こちらもなかなか楽しそう。類語とはちょいと離れるけども、なんか言葉の幅は広がりそうだし、『角川新類語辞典』みたいな格式高いハードルが感じられない。なにせ装丁が可愛い。見本ページを見に、三省堂のホームページまで行ってしまった。と、なると、『てにをは連想表現辞典』も気になってしまう。うう、悩む。

●◯。。。...

 正統派で『角川新類語辞典』にするか、新しさと可愛さに負けて『てにをは辞典』にするか。ぶっちゃけこうやって悩んでいる時間の方が、辞書をひく時間より長いんだろうなぁ、と思いつつ。今日もちびちびと検索をしておりますです。

 

 

m(_ _)m

 

 

ぎおんご ぎたいご じしょ  新装版

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