meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

最近、インターネットがインターネット的に思えない件

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 ラジオで平成ネット史(仮)を聴いていた。ふと思いついて「自分にとっての平成ってなに?」と聞いてみたら、「青春」と返ってきた。YoutubePerfumeのMVをひたすら眺めて、そういえば昔はPVって言ってなかったっけ、と首をかしげた。Appleがハードを発表しなかった。
 平成ネット史(仮)のラストでサカモト教授が生演奏をする。ネットを代表するメドレーとのことで、メルトとかパラライカとかハレ晴レユカイとか残酷な天使のテーゼをつないで、PPAP、USA、Lemonと締めた。うーん、やっぱりそうなのだ。いつからか、ごっそり抜けてしまっている。ここ5年ぐらいか。もうちょっと長い期間か。

●◯。。。...

 インターネット的なものといえば、どんなものなのだろう。どんなものを思い浮かべるだろう。
 ぼくが本格的にインターネットに触れはじめたのは大学に入ってからで、同世代の中では遅かった方だった。友達は高校時代からパソコンを組み立てて、Winnyをたしなみ、たまにCDを焼いて小銭を稼いでいた。今となっては、という話であるが、違法である。まだまだ法律的にも技術的にも規制が追いついていないところがインターネットの世界であって、そんなイケナイところが魅力でもあった。だから、初めて持った自分のパソコンであれやこれやができるんだよ、と聞いたときにはニヤニヤしたものであった。
 インターネットは、雑多で、猥雑で、正義感に溢れていて、性善説を信じていた。
 大学に入って程なくしてブログという仕組みを教えてもらい、livedoorブログにアカウントをつくった。高校時代の先輩たちとジモティブログ計画と呼ばれるプロジェクトがなんとなく立ち上がり、そのコミュニティのブログ同士が相互リンクを貼りあった。全世界に公開される、デジタルデータで記録が残る、黒歴史量産機のできあがりである。
 無茶な自転車旅行に行って、写真を撮って、ブログにあげる。適当なことを適当に書き連ねる。mixiに出会って、ニコニコ動画がはじまっても、適当な感じは変わらなかった。世の中にも中途半端なコンテンツが溢れかえっていて、出来合いのもので、とりあえずのクオリティで、高田純次並みのテキトーさで、文章が書かれて、写真が撮られて、動画が編集されていた。
 全裸で生卵食べれば、まぁ、それなりのコンテンツになった時代である。くだらない動画で、一気に世の中をかっさらうことができるかもしれなかったし、何より、そんぐらいなら俺でもできるかもしれん、みたいな、ほらお前も来いよ、みたいな雰囲気が漂っていた。参加ができた。世界をつくることができた。それが楽しかったから、ぼくはまだ細々とブログを書き続けているのだと思う。

●◯。。。...

 最近はほとんどニコニコ動画を見ない。Facebookがメインで、サブでInstagramTwitterSmartNewsまとめサイトをぼーっと読む。どれもつくっている感じはもっていない。えらく利用者になったもんだな、と思う。
 満員電車で見かける人たちも、大抵はゲームに興じている。ドラマを見ている。インターネットをしているのだけども、インターネット的なことをしているかと言われると、そうでもないような気がしてくる。SNSだってそうだ。気を抜くと、投稿しているのか、投稿させられているのか、少しわからなくなる。
 技術が進んで、クオリティは高くなり、敷居も高くなったということだろうか。スマホが普及して、アプリケーションがベースになった頃から、生半可や付け焼き刃では太刀打ちできなくなった。だから、ごそっりと、インターネット的なものが見られなくなったのではないか、とか考えてしまう。
 自転車ならメンテナンスや改造もできるけども、自動車となると腰が引ける。淋しいなぁ、という気持ちにもなる。インターネットは、誰でもが、こっちから、ちょっと手を伸ばせば、仕掛けられる場所であって欲しい。
 いや、むしろ、ユーザー側からすすんでユーザーになってしまったのかもしれない。もうちょっとわちゃわちゃする若さが、ぼくの中になくなってしまったのかもしれない。

 そういえば、最近いいサイトを見つけたのだった。食べログに依存しない、好きでやってるWebサイト。こういう好き勝手を見つけると、少しだけほっとする。

www.gifu-morning.com

 

m(_ _)m

 

インターネット (岩波新書)

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