meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

損得勘定世界にて。

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 仕事の報酬は仕事である、と書くとなんともワーカホリックな感じになるが、だからといってただただ報酬を求めて仕事をしているかと言われると、そうでもない。人間はさほどシンプルで合理的につくられてはおらず、複雑でめんどくさくって天の邪鬼なのである。
 ビジネスは合理を装っている。すべての活動を経済に置き換えて、合理に収束させたがる。だから、無意味な行動や、見返りのない愛に理解を示そうとしない。無駄に動く人間を見ては、無駄な動きをしているなぁ、効率的にしないとなぁ、骨折り損ばかりで成果が出ないなぁ、などとつぶやいて、その活動は徒労であると断じてしまう。これがビジネスチックの弱点なのだろう。
 人間の活動やビジネスの枠外に出る。というか、人間の活動自体が本体であって、ビジネスはその一面なのだから、人間の活動がビジネスの外にはみ出しているのは当たり前のことである。活動はより多様なものだ。「お金を与えられるから、動く」という面ばかりに着目していると、いつの間にか論理は「お金を与えられないと、動かない」にすり替わってしまう。こうなると、自分の活動にも制限がかかりはじめる。リワードがないと、アクションしない。そのロジックのつまらなさは、言わなくてもわかるだろう。
 逆に言えば、おもしろい人間というのは、なぜかタダでも動く人である。報われない努力をしちゃう人である。そういう人が、本当の仕事をしているのではないかなぁ、などと思ってしまう。

●◯。。。...

 何を求めて自分の力を投じるか、と考えた時点で、リターン思想にとらわれてしまう。とらわれてしまった人は、その構図を相手にも当てはめて考えてしまう。人を動かすためにはどうすればいいか、と考えたときに、ふーむ、ぶらさげるニンジンが必要だな、などと考えてしまう。もしくは、どのようなペナルティを設けるといいだろうか、と頭をひねる。相手にとっての得を設定するか、損を設定するか。どちらにしても損得勘定である。
 その世界観はシンプルで楽かもしれない。何をするにしても損得で勘定ができる。勘定の結果、利のある方を勝ちとすればよい。意思決定の基準に迷わなくてもいい。ただし、損得勘定が自分の活動を制限するように、損得によるコントロールは相手の活動を制限してしまう。ここに限界が設定されてしまう。
 本当ならば、人をマネジメントするとしたって、もう少し違った関係性もあったハズである。しかし、損得世界にどっぷりハマってしまえば、違った関係性に気づくこともできない。やりがいだけで人が動くなんて嘘だろう。けども、お金だけで人が動くことも嘘なのだ。自発的な活動を促したいと願うのであれば、枠外に出る必要がある。

●◯。。。...

 では、枠外に出るためにはどうすればいいのだろうか。改宗する気のない信者に他教の説法をしても効果はないだろう。わたしは今日も愛想笑いでシールドしつつ、さてさてどうするべきかと考えつつ、半分ぐらいは呆れているのである。


m(_ _)m

 

 

 

情報過多の時代

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 情報が多い。インターネット黎明期だったか、2000年を過ぎた頃だったか、人の情報摂取量がうん倍になったとかいう話があった。それも今やスマホ時代、タブレット時代。どういうふうに「情報の摂取量」を計測したのかはわからないけども、たぶん、さらにうん倍になっているのだろう。
 気が散りやすくなったと、自分でも思う。注意が一点に集中しない。あっちに気が向き、そういえばアレをやってなかったと手をつけ、まだ終わらないうちにふとこっちに意識が移って、違うことをやり始める。FacebookTwitterInstagramを行き来し、G-mailとHotmail(←古い!)を確認して、SmartNewsを眺めて、天気予報が気になったらWhetherNewsとtenki.jpを見比べる。プライベートでもこんな感じで落ち着かない。落ち着いているとなんか勿体ない気がする。読んでいないと、見ていないと、聴いていないと、情報を摂取していないと。

●◯。。。...

 こういうライフスタイルがどうやら仕事にも影響しているようである。昔っからこうだったのかはわからないけども、扱う情報の量が膨大になっているように思う。わたしの仕事だからそうなるのかもしれないけども、そうでもない気もする。世の中、大抵のことがマルチタスクで迫ってくる。シングルなタスクに没頭できることなど稀だ、という言葉にはある程度の共感が得られるのではないだろうか。
 部下は上司から声をかけられる。上司は部下から声をかけられる。電話がなって、話すうちに何をやっていたのか忘れてしまう。メールはチェックしなければならない。気づかないうちにチャットが入っている。そのくせ社会の仕組みは複雑になっていて、事業に関して得られるデータは増えている。多くの人が情報の濁流に飲まれているのだけれど、残念ながら、整理する時間は与えられない。
 結果として、そこらじゅうで情報が飛び跳ねる。あちらとこちらで言っていることが違っていたり、昨日と今日で解釈や認識が変わっていたり、そういえばアレどうなった?で1時間以上手が止まる。みんながみんなでハンドリングができていないのだな、と思う。
 発生する案件に対して人手が足りていないのかと言えば、その通りかもしれない。しかし、人手があればどうにかなるものでもないから難しい。結局のところ、誰も現状を認識できていないので、適切な交通整理ができないのだ。
 そして、仕事は散り散りになる。いつの間にやら雲散霧消して、そのことにも気づいているようで気づかないふりをして、日々はすすむ。

●◯。。。...

 これはわたし個人の、個別具体的なケースに過ぎないのだろうか。
 IT化がすすんだ。いろんな情報にアクセスできるようになった。なのに、事業の姿が見えてこない。お茶でも飲んで、まぁ、ゆっくり、とデータに向かわせてくれてもいいじゃないかと言いたいが、そうもいかないらしい。
 情報をふるいにかけて、整理して、見やすくするのもITの仕事なのだけど、どうやらわたしたちはそれをうまく使えないらしい。日本人の特性だろうか。今までの経験上、センスよくシステムを使いこなしている人は、とてつもなく少ない。帳票並べて電卓叩いて堂々と忙しそうにしている人がいてしまうのが、現状なのだ。
 まずは混乱状態であるという現状認識をすること。そして、この状況を泳ぐための技術と体力をつけること。国がプログラミング教育に力を入れつつあるのも納得である。もう一歩進んだITリテラシーを常識にしていかないと、立ち行かなくなるのだろうなと、思う。リファクタリングしたい。


m(_ _)m

 

 

エンジニアリング組織論への招待 ~不確実性に向き合う思考と組織のリファクタリング

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