Final Fantasy がもたらしたもの。
ゲームをしなくなって結構長い。
最近のゲーム事情を知らないってのは、小中学校時代の私から見れば、
不思議なことだろうな。いわゆるやり込み派ではなかったけど、
特にFFシリーズには思い入れが強い。変な言い方だけども、
Fainal Fantasy がなければ、京大なんか行けなかったろうな。
と、本気で思う。私にとってはとっても強い影響を受けた作品なのだ。
例えば、ゼロムス。
【 どうでもいいが、この画像のエッジとリディア、何があった?w 】
FF4のラスボス。こいつがゼムスに替わって出てきたときの言葉は
非常に印象に残っている。
「 わ が な は ゼ ロ ム ス 。 す べ て を に く む 」
全てを憎む? 全てを憎む存在ってあんのか?
ドラゴンクエスト4のデスピサロでさえ、ロザリーを人間から守るとか、
何だかんだ理由があったじゃないか、と。
これは絶対悪の存在であり、抽象的概念、形而上の思考なのだ。
FFのラスボスはこういうのが多い。私が経験した中でも、FF4のゼロムス、FF5の
ネオエクスデス(「無」に飲み込まれる)、FF9の永遠の闇、このあたりは最後の
最後にちょっと簡単には認知できない、何かのイメージとの戦いがある。
ここで幼いきむらは、抽象概念の素養を得たのではないか?
抽象的なもの、具体的には存在しないけれども想定ならばできるようなもの、
数学で言えば虚数的なイメージを扱うための基本的な素養は、実はFFから
来ているのではないか、とさえ思っていたりするのである。
他にも、FF7の世界観。 これは、わかりやすく環境活動とかぶるw
【 こんな環境活動くさいゲームをよくやったなぁ、と、振り返って思う 】
当時人権教育に辟易して、社会にいいコトなんて考えたくもなかった私が、
すっとこの世界観に馴染んでしまうのは不思議である。 この魔高炉で吸い上げ
られて消費されるのは、星のライフストリーム。確か、人の魂が星に帰り、巡って
いる場所のはずで、
実は相当なスピリチュアルで、胡散臭い設定なのであるw
そして、今、考えてもメッセージ性が強い作品である。
乱暴な言い方かもしれないが、バーチャルとはいえこういう経験をしてきたから
こそ、考える人間になった気がする。今の自分の世界観にも大きく影響している
というか、Fainal Fantasy 的なものの見方が私のベースなのだw
( FF的なものの見方とはどういうものなのか?を1度掘り下げて考えてみたいな )
ゲームが子供に悪影響を及ぼすという話もあって、まぁ、全くの嘘とは
言えないだろうけど、気持ち的には俄然反対したい。自分が物語の中に
主体的に入り込む。その経験は強力に自分の感覚を広げるものなのだ。
そして、いいソフトは、商業主義や資本主義の産物ではなく、クリエーターの
「 遊び 」や「 表現 」なのだ。( もちろん、マーケティングされている
ものなのではあるが )
自然から学ぶものもあれば、ゲームから学ぶものもある。
何がいい、悪い、という話でもないのだ。