meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

セルフネグレクトの記事から。



 ビッグイシューは、たまに買う。金山に引っ越してきてから、金山
 駅前の売り子さんに会う機会が増えたからだ。300円という低価
 格で、あの内容の雑誌が買えるのは、普通にお得じゃなかろうか?
 特集内容によるけど。。。

 今回は、表紙の関係上、買わざるを得なかったと言える。まぁ、な
 んせあの( 暴走 )機関車トーマスである。もちろん @tomasu529
 を意識しての購入。今度会ったときに見せてやろうw


 さて、そんなビッグイシューのコーナーの1つに雨宮処凛の「 世
 界の当事者になる 」ってのがある。最新号のテーマは「 セルフ
 ネグレクト 」だ。介護放棄をされた高齢者などに見られる症状?
 というか、現象?のようで、要は自分にネグレクトする。食事や医
 療を自ら拒み「 生きる営み 」そのものを放棄する状態なのだそ
 うだ。死んだほうがいい、とか、自分はいらない人間、とか。そん
 なことを思って、自分を放棄する。本文の言葉をそのまま使えば、
 「 自分自身からの排除 」( 湯浅誠さんの言葉らしい )

 ニートとかにも近いんじゃないかな? ニート的な高齢者?

 セルフネグレクトなんて言葉を今まで知らなかったのもどうかと思
 うわけだが、、、こういう状態って結構いろんな人が陥ってるんじゃ
 ないんだろうかなぁ、と感じている。っちゅうか、僕自身がこの状
 態に近い思考にはまり込むことも多い。「 自分なんていらない人
 間だよねぇ 」って、まぁ、よく思うw

 雨宮処凛さんは、この自分不要な感じの背景に、「 役に立たない
 人間だから 」という想いがあるはず、と書いてて、ま、そこまで
 はすっと読み流せる。役立つ感覚、自己効用感ってのは、生きる力
 の源と言ってもいいぐらいのもんなんだろう。そんでもって、この
 効用感を得るために、社会の課題をなくしちゃいけない、課題を解
 決して、終わらせちゃいけない、んじゃないかなぁ、っていうのが
 僕の個人的な意見でもある。逆説的な言い方なんだけども、人って
 社会問題から生きる力を得てる面があるんじゃないかなぁ。


 って、話が横に逸れてしまった。。。

 で、で、

 その後の「 役立ち感 」を「 利益を出す 」ってところに結び
 つけたところに違和感を感じちゃったのだ。ちょっと引用すると、

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 この「役に立つ」か「役に立たないか」で存在・生存そのものを値
 踏みされるような空気と「自分自身からの排除」は決して無関係で
 はないだろう。(中略)背景にあるのは市場原理主義的な価値観で、
 結局は「より多くの利益を生み出す人間だけが価値がある」といっ
 た身も蓋もないものだ。
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 役に立つかどうかで生存を値踏みされるような空気ってのは昔から
 あったんじゃなかろうか?と思ってしまうことも1つ。それより気
 になったのが、「 役立つこと = 利益を出すこと 」って構図
 が想定されているようなところ。

 なんだろう?

 うまく言えるか自信はないが、お金を稼ぐこと以外の役立ちさえ感
 じられていない人がいるんじゃないかなぁ、ってこと。 かな?
 利益を生み出そうが、生み出さまいが、役立ちを感じている人はい
 るし、感じていない人もいるし、人から必要とされる人はいるし、
 人から必要とされない人はいるし。市場原理主義のような単一な尺
 度で「 排除 」が起こっているわけでなくて。身も蓋もないのは、
 自分が「 どんな定規をあててみても、役に立たたない 」と思っ
 てしまうことではないだろうか?

 ( この「 役に立たない 」と思ってしまう価値観、判断自体が
   市場原理主義的な見方なのかもしれないが。。。 )

 個人的な実感としては、もっと根本的に、「 自分は無価値 」で
 あり、誰からも必要とされない・役立たないというのは、そういう
 状態なんではなかろうか?


 はなはだ曖昧な話で申し訳ないが、この無価値を乗り越えるには、
 なんとなく「 方法 」じゃないかな?と思っている。今まで自明
 とされていた処し方、振る舞い。その方法と、方法に底流する思想
 を意識化して、そこから変えていくような試みをしていかなければ、
 この根本的な無価値からはぬけられない、、、

 の、かもしれないなぁ (´・ω・`)