meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

その場所の感覚。

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 昔っから、場所の感覚というのがあるなぁ、と思っている。ウソみたいな話だが、これでも大学で地理学を学ぼうと決めたときから同じことを考えていて、要は「その場所にいる」って感触をどうやって扱ったらいいのだろう、と悩み続けているのだと思う。空間への興味は、高まったりおさまったりを繰り返しながら、ずっと自分の中に息づいている。

 だから、色んな場所に行くのは楽しいし、おもしろい。

●◯。。。...

 場所の感覚に対して、何が作用しているのかは未だによくわかっていない。経験なのか、景観なのか、天気なのか、知識なのか。それら全てが複合してこんがらがってつながって、最終的なアウトプットとして出てくるようにも見えるし、そうでないような気もするから不思議なのだ。どうもコトは単純ではないらしい。
 こういう感覚は小さいところでは家を選ぶときやグループワークをするときなんかに、大きいところでは街を歩いたり地域を見に行ってみたりするときによく動く。しっくりくる場所、こない場所がある。これはたぶん、みんなにあるものだと思う。
 日当たりがよくてキレイなのにどうにも居づらい部屋だなと感じてしまうこと、スカッと晴れて気持ちのいい自然に囲まれているのになんか妙な雰囲気を嗅ぎとってしまうこと、そんな経験を持っている人はいるはずだ。そして、そういう「感じ」って、その人にとって大切なものなのだと思う。見た目の条件ばかりで判断してしまうと、妙な間違いを犯してしまったりもするだろう。

●◯。。。...

 スピリチュアルな話で、第六感的何か、なのだ。だけども、それは磨いておいた方がいい。んー、こうじゃないかな、と思ったことは口にしたり、言葉にしてみた方がいい。ロジックで語れないからといって、閉じ込めておくのはよくないのだろう。
 口にしてみると、意外と隣にいる人も同じ感覚を持っていることがある。というか、同じことが結構多い。ここは凄いよね、ここはヤバイよね、というアンテナが人には備わっているのだろう。スゴさ、ヤバさの種類もいろいろあって、ずーんと重く響く場所もあれば、ずーんと重くのしかかる場所もある。その場所にある怪しさ、ヒソヒソ感が気になって怖い場合もあって、そういうところには自分は合わないのだなぁ、と思うことにしている。もちろん、暗くてジメジメしててもしっくりくるときもあって、一概には言えない。これはとにかく、自分で行ってみるしかないのだ。

●◯。。。...

 こういった「感じ」というのは一体なんなのだろう。木目調の落ち着いた空間、とか、ネオンサインが輝く賑やかな通り、なんてのもひとつの要素なのだけれど、そればかりでもない。そろそろイーフー・トゥアン先生の出番なのかもしれぬ。「あれは文学的素養がないと書けないものだよ」と聞いたのはいつだったろうか。
 科学的であろうとすることと文学的であること、ハッキリと曖昧はやはり隣同士や裏表で、分かれているようで分かれていないのだろうなぁ。

 


m(_ _)m

 

 

 

空間の経験―身体から都市へ (ちくま学芸文庫)

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