meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

大きな物語から、小さな物語へ。平成最後の日に書いてみる大雑把な話。

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 官製だろうと、宮家の事情だろうと、それが押し付けであったとしても、区切りとなったのだから、それを楽しめばいい。今日が平成最後の日だ。泣いても笑っても、もう、平成という時代は戻ってこない。ここで蓋を閉めて、パッケージングされる。なにもないだらだらとした時間の流れが、ここで分けられて、整理されるのだ。
 昭和生まれで平成ジャンプなわたしにとって、元号は物心ついたときからずっと平成だった。缶ジュースが100円だろうと110円だろうと120円だろうと、プルトップが剥ぎ取り式から押し込み式になろうと、平成は平成だった(と思う)。小学校時代を引っ込み思案で暮らし、中学で優等生となって、高校で走り、大学に行って人とのつながりを噛み締めて、社会の荒波にもみくちゃにされた。学びも、仕事も、スポーツも、恋愛も、全てが平成の中にある。まさに青い春であり、すべてが平成に含まれている。
 だから、昭和のことはほとんど知らない。幼いころ、白黒テレビは現役で動いていたし、黒電話も使っていたけれど、そのときの感覚は自分の中に根付いていないと思っている。全部平成。そんな平成単体しか知らない人間が、時代の流れを書こうとしたって書けないのはよくわかっているけれど、最後の日特価ってことで、無責任に、勝手に、自分が思う平成の大きな流れを書いてみようと思った。
 メインとなる軸は「大きな物語から、小さな物語へ」。最近、聞かなくなったキーワードで、流行遅れ感が半端ではない。けども、まぁ、思いを巡らしてみたらそこに行き着いたのだから、仕方がないのである。

●◯。。。...

 平成が個の時代だったから、昭和が集団の時代だったなんて言うことはできないのだろうけど、たぶん、やっぱり、昭和の主役は大きな物語だったのだろう。それは国だったり、会社だったり、地域コミュニティだったり、家族や一族だった。
 個々の物語は、それぞれの階層ごとにまとめられて、上位階層へ上位階層へと吸い上げられた。護送船団方式、モーレツ社員、一億総中流、そしてジャパンアズナンバーワンへ。個は集団のために力を尽くすことをよしとした。いや、お国のため以外に頑張るという選択肢がなかったのかもしれない。その結束が大きな成果と、強烈な排除を生み出す。55年体制、公害、専業主婦。
 大きな物語に回収されることがやり甲斐であったのだと思う。特にそんな意識はなかったのだろうけど、会社の発展が、社会の進歩が、自分の成長として捉えられていた。徐々に生活水準は上がる。便利になる。満足感は高かったハズだ。
 そして、バブルを迎える。

●◯。。。...

 昔、誰かが言っていた。日本の戦後史はバブル以前とバブル以後で分けられる。なるほどな、と思った。簡単に言えば、バブルまでが上がり調子で、そこから先は下り坂だ。バブル以降、小さな物語が徐々に浮かび上がってくる。個人主義が台頭する。多様性が認められてくる。
 なぜ、個が舞台に上がってきたのかは、よくわからない。バブル崩壊という大失速によって、ひとつの大きな物語にすがっていては危険であるという認識が広がったからだろうか。裏で胎動していたインターネットというツールが、爆発的に広がったからだろうか。ともあれ、大きな物語への依存ができなくなり、個人の意志が尊重されるように、個人の意志を強要されるようになってきた。
 平成を通じて、大きな物語と小さな物語の立場の逆転が起こる。もしかしたら、それが歴史の必然であり、自然にそうなるべきことが起こってきたのかもしれない。
 男女雇用機会均等法が女性の社会進出を押しすすめた。徐々に男女の格差が小さくなっていく中で、専業主婦モデルは崩れ去る。もちろん、昭和の時代からananが女性の解放を仕込んでいたこともあった。フェミニズムが炎のように女性の地位向上を唱えた。単純に考えて、労働者が増加する。押し出されたサラリーマンも少なくはなかっただろう。非正規労働者もあらわれる。
 ビジネスはプロダクトアウトからマーケットインへの転換を余儀なくされる。グローバル化で市場が広がったけども、それぞれの国に適応する必要に迫られた。大量につくれば、大量に売れる世界は、なぜか、姿を消してしまった。多品種少量生産へと舵を切る。マスメディアは、ほとんどマルチメディアになった。欲望は広告で与えるものではなくて、消費者の事情にあわせてくすぐり出すものになる。
 個人主義は、自己責任論も生んだ。全体の幸福追求よりも、あなたの意志が求められる。なのに、両親や、学校は多様化にうまく対応ができていなかった。思想に対して、制度やマナーは遅れをとった。一方で、先鋭化し過ぎた思想が、社会の責任を個人に押し付けはじめたのだ。インターネットによる集団分極化がその土壌になったことは確かだろう。
 インターネットによって個人がダイレクトに世界へとつながったのも平成だった。このブログ同様に、個人の意見がそのまま露出された。木々に覆われることなく、雑草に光が当たることになったのだ。こんなブログでも日に数十のアクセスがある。前インターネット時代に数十人へと意見を伝えることができた人が、どの程度いたか。個々の物語が、好き勝手に躍り出た。大きな物語に回収されない、それぞれの物語がそこで混じり合った。有名人は、「その界隈での有名人」に少しシフトした。

●◯。。。...

 大きな物語が背景に下がって、多様性が認められつつある。ただ、小さな物語の世界は、それはそれで厳しい面も持っていることもわかってきている。すべてが個別に分かれるのではなく、それでいて、全体にまとまり過ぎることもない、ゆるいつながりが求められた。
 特に阪神淡路大震災東日本大震災は、コミュニティ喪失への警鐘となった。バラバラの個人主義も見直されて、また集団への志向も強まりつつある。それが、つながり直しであればいいが、原状復帰になってしまわないかという危惧もしている。つまるところ、日本はムラ社会をずっと続けている。能力で仕事をせず、関係で仕事をする。大きな物語は崩れ切っているわけではない。
 小さな物語の成熟にも、まだ時間がかかるだろう。個人をエンパワメントしてきたインターネットも、今やSNSやアプリに取って代わられた。それはみんなの場所ではなくなって、プラットフォームを運営する企業の意図に操られたサービスを受ける場所になっている。個人主義はまた、全体へと向かいはじめている。大きな物語を打ち立てるリーダーがいれば、一気に依存してしまうかもしれない。

●◯。。。...

 思い切って、物語るべきなのだろう。小さな物語は、まだ物語ることができていない。個々人の内に神話を打ち立てることができていない。磨かれていない。
 今日、ラジオを聞いていて、思った。ラジオはしきりに「あなたにとっての平成」を流す。リスナーの経験が、溢れてくる。マスメディアのわりに、なぜだか寄り添い上手なのが、ラジオの不思議なところだ。そして、個人の個人的経験は、なぜだか共感を呼ぶ。大きな物語を背景にして、小さな物語が際立つ。これが平成のスタイルなのだなぁ、などと思った。
 場所は選ぶべきだと思うけども、もっと自分語りをしてもいいのだろう。語りだされなければ、自分の経験を編集しようという心持ちにもならない。それぞれの道を、それぞれのものとして、いい経験をしてきたね、と、それもひとつの道だよね、と、認めてあげてもいいのではないか。大きな物語にすがってられない時代には、そんな人生の当事者会が必要となる。

●◯。。。...

 令和になる。令和の令は、ひざまずいて頭をたれ、命令を受ける形。令に口(サイ)をつければ、命となる。口(サイ)は神の言葉を入れる入れ物だ。しかし、令に口(サイ)はない。では、何を受けるのか。
 大きな物語を引き受けるのか、編み出した小さな物語を引き受けるのか、どちらだろうか、などと考える。大きな物語に回収されることなく、個々人が、踏ん張れるかどうか。それは、語り出すシステムの成否によるのかもしれない。それは、ローカルメディアや小さな出版社、ご当地アイドルといったメゾレベルのところに仕組まれるのではなかろうか。

 

m(_ _)m

 

 

インターネットは民主主義の敵か

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