meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

書けないものを書く。

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 今週末は、ひとりで過ごしている。たまにこういう時間があるけれど、そんなにあるわけではなくて、意外とひとりの時間は貴重になっている。今日は特に、穏やかに晴れているのもあって、さらにレア度が髙い。朝からゆっくりだらりと二度寝をたしなみ、午前中に物置を整理。午後になってから食料品の買い出しに行って、山下達郎のサンデーソングブックを聞きながら、遅い昼ごはんを食べた。
 そして、今、コーヒーを飲みながら、何か書こうと思ってパソコンに向かっている。ひとりの時間は淋しくもあるけれど、それももうすぐ終わるかと思うと、少しだけ、惜しいなぁとか、もっとあれもやりたかったなぁ、なんて気持ちにもなる。

●◯。。。...

 暖かな午後の光を見ながらコーヒーを飲む。気持ちはとても落ち着いている。こういう気持ちになれることは、贅沢なのかもしれない。歴史上、こんな時間を持てた人間って、どれぐらいいるのだろうか。
 ふぅ、っとひと息吐き出す。コーヒーをひと口飲む。ふくらはぎから下がちょっと冷たい。やっぱり秋だし、冬もちゃんと近づいてきている。

●◯。。。...

 こんなことをつらつらと書いたって、きっと、今感じている気持ちは伝わらない。多分、多くの人たちが感じてきたものと同じものなのだろうけれど、それを、穏やかだとか、暖かだとか、ほっこりだとか、安心だとか、いろんな言葉で表現しようとしたって、それはなにか違うものに変換されてしまう。
 文章には限界がある。当たり前のことだけど、文章ほど貧相なデータはない。データ量が小さい。画像でもないし、音も聞こえてこない。文章で表現できるものなんて、そんなにない。
 そのくせ、文章は時代・場面を問わずにずっと使われ続けてきている。これほど便利な伝達手段はないってぐらいに使われまくっている。これを超える伝達手段っていうと、話し言葉ぐらいだろうか。
 ほとんど情報を乗せる場所がないのに、だからこそなのか、ときに現実よりも雄弁になる。不思議なもんだなと思う。よく、行間を読むなんて言われるけれど、本当にその通りの感覚があるのだろう。書いてあることの背景を想像する。逆に、背景が書かれていることによって、核心がよく見えてくる。
 説明より、描写だなぁ、なんて思う。ロジックよりも比喩の方がパワフルなことも、よくある。

●◯。。。...

 ぼくが文章を書きたいなぁ、と思ったのは、そういう力に惹かれたからだった。その構造を知りたいと思ったし、書けないものを書いてみたいと思ったからだ。こんな調子で書き続けてるから、そんなに文章力が上がったとも思わないけど、多分、これからも書きあらわせないものをめがけて書いていきたいなぁと思う。実は、それは写真についても全く同じだったりもする。
 じゃあ、書きあらわせないものって何なのだろうか。なぜぼくは、それを表現したいなぁと感じているのだろうか。そういう衝動って、一体全体、何なのだろうか。

 

m(_ _)m