meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

達成後の風景

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 ぼくは何がやりたかったんやろうなぁ、と考えることがしばしばある。やりたいことベースで動く人間じゃないのはわかっているんだけど、それでも、何らかの気持ちがあってここにいるわけで、こういう仕事をしているわけで。ただ、ちょいちょいした機会に、他の人がなんでこういう動きをしているんだろうかとか、なんでまたそんなに意欲的に仕事に向かっているんだろうとか、そんな場面を見るにつけて、ああ、そういえば自分には何かをやりたいという意志がないんだなぁ、と思ってしまう。
 振り返ってみれば、1年半ぐらい前の、まだ転職活動中だったときに描いていたのは、岐阜での暮らしであった。名古屋に通勤していることが住んでいる場所との大きな乖離になっていて、きちんとこの地域にいるためには、岐阜で働くところを見つけて、そこに居着くことが大事なのだと考えていた。毎日名古屋に向かう電車の中から、岐阜の山々を眺めて、絶対にそっち側にいる人間になるのだぞと、心の中で唱えていたものだった。
 だから、その頃の思考からすると、今の状況はとても理想に近いものだったりするのである。岐阜で働いていて、それなりに暮らしであれば問題なく続けていける状態になっている。なんとまぁ、幸せなことであろうか。やりたかったことが、できている。少なくとも、1年半前と比べれば、大きく大きく前進しているのだ。

●◯。。。...

 何かを達成した。だからこそ、煮詰まり感がふつふつと湧いてくる。そういうものなのかもしれなくて、人間ってのは、ほんと不器用にできているなぁ、と思う。ずっと途上、道半ばであって、目的地に到着した満足感にはそう長い間浸っていられない。なんかちょっと停滞感が出てきて、もぞもぞしはじめる。
 曲がり角まで来ないと、次の景色は見えないのである。だからたぶん、ぼくも今、やっと曲がってこれたところなのだと思うことにした。階段の踊り場で、次の階段を探していると考えれば、やりたいことってなんだっけなぁ、というアンニュイな気分も、そう悪いものでもないだろう。達成のあとなんだから、ゆっくり落ち着いて、今の地盤を固くしておけばいい。
 きっと、そのうち自然に見える景色が変わってくる。そういうもんなのだ。

●◯。。。...

 コロナのせいもあって、ぐんと動きをつけるにもつけられず、結局勉強ばかりになっている。なんやかんやと今の業務につながる知識を身につけて、さて、どうなっていくのか。まだまだ時間はかかりそうだけど、これらのもぞもぞ期間がいつかのなんかになる日を、やんわりと期待してみている。

 

m(_ _)m