meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

震災から10年。節目の年に振り返りたいこと。

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 東日本大震災から10年経が経ちました。といっても、あまり実感はありません。ただ、今日はあっけないほどに日常で、いつもの通り出勤して、最近の、ちょっと忙しい感じにタスクに追われる典型を繰り返しました。イレギュラーといえば、帰りにスーパーに寄ったことぐらい。年度末のバタバタに巻き込まれて、夕ご飯をつくる余裕がないので、レトルトに助けてもらいました。
 ラジオを聞くと、震災特集が目立ちます。忘れてはいけない、復興って何のことだろう、人とのつながりが戻らないとか、街に活気が戻らないとか。防災のこと、これからも起こるだろう災害に備える意識。あのとき、何をしていて、どう思ったか、とかとか。
 でも、なんとなく、「あのとき」の記憶は何度も再生されて、反響しているように思えるのですが、「あのころ」の記憶は忘れてしまっていいのかなぁ、とも思います。もうちょっと、地震後のことを思い出してもいいのではないでしょうか。

●◯。。。...

 わたしが一番危惧しているのは、地震後に起こった社会的な雪崩が、忘れ去られてしまうことです。東日本大震災が起こって、日本中が「何かしなきゃ!」にとらわれた。その勢い、流れの強さに狂気を感じたのは、たぶん、わたしだけではなかったはずです。
 2011年3月26日の記事で、@takagengenさんの以下のツイートを引用していました。たしか拡散されていたツイートを拾ったものです。

「祝辞」14・幾人かの教え子は、「なにかをしなければならないのだけれど、なにをしていいのかわからない」と訴えました。だから、わたしは「慌てないで。心の底からやりたいと思えることだけをやりなさい」と答えました。彼らは、「正しさ」への同調圧力に押しつぶされそうになっていたのです。
「 正しくなさ 」を許すか? 許すべきか?

 寄付せぬものは人にあらず、というのは言い過ぎでしょう。しかし、それにも似た状況が作り出されてしまっていた。なぜかみんながフワフワしていて、どこかで何も出来ない自分を責めているような雰囲気になっていました。社会的正義がハッキリし過ぎていたのかもしれません。正しさから外れる人を許せなかった。いや、外れる自分を許せなかったのでしょう。当時、NPOに所属していたわたしが、片隅で「何もしません宣言」をするのは、ちょっと勇気がいることでもありました。
 後々の記事で、わたしは雪崩が起こった原因をこう分析していました。

 今、振り返ってみても、あの「何かしなきゃ」はすごく気持ちの悪い流れでした。行動が起こるのはいいことだし、支援をしなければならない状況でもあったのですけども、今になっても違和感が拭えません。
 ただ、考えてみると、あの「何かしなきゃ」には罪悪感のようなものが含まれていたのかもしれぬと思えてきました。お天道様に胸を張っていられるのであれば、誇りをもってその日常を続ければいいし、そういう人は震災が起こったときにも自分のすべきことをしかと掴んで行動するでしょう。でも、どうにも鬱屈した雰囲気もあった。それは、わたしたちのライフスタイル自体がどこかおかしいことに、わたしたち自身が薄々気づいていたからではないだろうか。そんな風に考えてみると、自分自身の後ろめたさに対する免罪符のように、「何かしなきゃ」が生まれてきたという見方もできる気がします。
3月11日ですね。

 雪崩の原因には、それまでの暮らしに底流する罪悪感や後ろめたさがあるのではないか。そんな指摘をしている人を見かけることはないので、これを書いたこと自体には意味があったのかなと思っています。
 わたしたちのライフスタイルそのものが、どこか地表と切り離されて滑っているところがある。だから、振動によって雪崩となって、社会全体を飲み込んでしまう。そんなイメージは、コロナ禍の今でもできます。もちろん、罪悪感は裏側に潜むものであって、表に出ているのは過剰な正義感です。正しさを、自他に求めようとする空気です。

●◯。。。...

 危機的事態に対して、熱に浮かされることなく、冷静に過ぎることなく、その事実をしかと受け止められるようになるというのは、難しいことです。けども、難しいからといって諦めてしまっては、偏るばかりで。バランスは、常に取ろうとする努力によって成り立ちます。
 そんな態度を、みんながみんなにとって欲しいとは思いませんが、この記事を読んでいるような方には、少し、期待してしまいます。

 

m(_ _)m

 

<9年目に書いた記事>

meta-kimura.hatenablog.com