meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『断片的なものの社会学』岸政彦

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 10月ってこんなに暑かったっけ? まだ半袖を着ていることがなんだか不思議で、たしか、去年のこの時期はもうそろそろデータベーススペシャリストの試験が迫っていて、試験の日には無印のパーカーなんかを着ていた気がする。この土日も、予想気温が30度とかになっていて、冷静に考えたら、それって真夏日やんけ、と思ったりしていた。
 気温が下がらないと、柿がキレイなオレンジ色にならないらしい。そんな記事をYahooニュースで見かけた。温暖化で気温が下がらなくなったり、昼夜の気温差が小さくなると、色づきが悪くなるとか、なんとか。
江戸時代には品川で2mの積雪があった、とか聞いたこともある。地球のライフサイクルもゆっくりまわっていて、否が応でも、環境はちょっとずつ変化していく。世は無常である。

●◯。。。…

 『断片的なものの社会学』を読んだ。Facebookで書名を見て、食指が動いた。「社会学」ってのが、なんともダイレクトで気恥ずかしいのではあるが、まぁ、たぶん、きっとおもしろいだろうなぁ、と思った。
 内容はやっぱり断片的で、ちょっとヘビー。断片的な、そこまで重要ではない、ある意味では普通で、何が普通なのかはわからなくなる感じ。色んな人の、マイノリティに偏ってはいるが、そんな人たちの生活史をインタビューしてまわる社会学者の、聞き取りやエッセイがバラバラと並ぶ。
歴史のメインキャラクターにならない人たちの生活を、なんの意味付けもせずに、眺める。その難しさと、尊さが染みわたる。大仰な意味や意義や目的を持たずに、ただただそこにあって、生活し続けていく。そのこと、それ自体が、痛切で、切実なことなのだなぁ、と思う。
そんな人間の断片を拾い集めて何になるかというと、何にもならない。何にもしない。

●◯。。。…

 ただそこに生があるだけ、という態度は、あまりに達観し過ぎているだろうか。ぼくは、人生は無意味だ、なんて言い切るほどに若くはなくて、かといって、意味があると言うにも気が引ける。
そこに世界があって、人が生きていて、集まったり離れたりして、それだけなんだけど、それはそれで、意味なんかじゃなくて、それでも自分にとっては大切で、得難い何かなのだろうなと、思う。無意味な断片でしかないものたちが、何千年も前から地球の上でうごめいてきた。そのことに、愛しさを感じる。

●◯。。。…

 暑さの中、今年も栗きんとんを求めて出歩いた。中津川や恵那に行かなかったのは、初めてかもしれない。それでも、なんだかんだで6種類(6店舗)の栗きんとんを食べた。我が家の年中行事である。
そこまでシーズンインを意識して、気合いを入れているわけじゃない。ただ、なんとはなしに食べに行く機会がぽこっとできて、いつの間にかそれなりの数をこなしてしまう。ここまでまわってるんなら、全店制覇を目指してもいい気もしてくる。

こうやって、その年々の季節を迎えて、日々が過ぎていく。だからなんだってこともない。
 


m(_ _)m