meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『予測学』大平徹

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 一時的活字中毒期が来たようである。なんだかとりあえずのべつまくなしに読みたくなって、図書館に通っている。なんとなく目的の本と、目についたなんか気になる本を借りて帰る。普段なら読んだり読まなかったりなんだけど、こういうテンションになったときは手にとったものから読もうとする。
 だが、読むと言っても、ぼくは遅読が基本なので困る。それじゃああんまりにも進まなくってじれったい。悩んだ末に速読の教本みたいなのを数冊持ってきて、どしどし読んでみることにした。そしたら慣れないナナメ読みで、読んだ端から忘れていく。なんの本を読んだかさえ覚えていない。それもそれでなんだか勿体なくなって、やっぱり記録しようということになった。
 時間はどれだけあっても足りないなと、思う。

●◯。。。...

 なんだかんだでデータにまみれる毎日を過ごしていて、それがどういう風に活用されているかを知らない。調査だったり研究だったりなんか個人的な趣味だったりするのだろうけれど、依頼されたデータをデータベースから取り出して、こねくりまわして渡すのが今のぼくの立ち位置だ。あまり深追いはしないけど、たまにはその先を考えてみたくもなっている。
 世間的にはいわゆるデータの2次利用ってやつだろう。その最たる例が「予測」なんじゃないかなと思う。前職でも、結局求められるのは予測であった。今後、売上がどう推移するのか、どの程度の利益に落ち着くのか。人間、未来のことをとにかく早く知りたがる。
 そんな予測をあれやこれやと収集したのが『予測学』であった。自然災害、経済社会、研究開発、多岐に渡る予測を拾い上げて、概説する。確率分布やニューラルネットワークも出てくるけれど、そこは概説書。読むのに数学的知識は必要とせず、ちらりとその仕組みに触れられる程度である(まぁ、難しい数式は読み飛ばせばいい)。
 データの活用という面でイメージに近かったのは、地震の話だろうか。過去のデータからどの程度の周期かを推定し、この先何年間に起きる確率を算出する。時間を横軸にとって、前回の地震発生時点が原点となる。そこから30年後は3%で、31年後は2.9%で、みたいな感じに発生確率を並べて確率の分布の山を描く。そうすると確率が時間軸上にどんな分布となっているかが見えてくる。30年から31年後に発生する確率は3+2.9=5.9%、みたいに考えるらしい。ほうほう、確率分布ってこういう考え方なのかー、とざらっと表面的に理解しながら読んだ。
 一方で、数学のナントカ予想とかも、言われてみれば確かに予測で、そんな話も集められている。いま、パソコンに向かってキーボードを叩いている。その文字変換だって、予測されている。予測って言っても、多様なのだ。

●◯。。。...

 話は予測という営みそのものにも向けられる。予測って何なのか、なぜ予測するのか、予測ってのは知性そのものだったり、意識の発生にまで関わってくるのではないか、なんて考えさせられる。考えてみれば、予測学ってのが体系的に整理されていないことの方が不思議だろう。それぞれの分野で、みんなこんなに予測してるのに、横軸は通されていない。予測の方法が多様過ぎるからだろうか。予測って観点で見た歴史なんかにも興味はあるなぁ。
 ちなみに副題には「未来はどこまで読めるのか」ってな文言があるけれど、予測の精度がどうこうという話はあまり見かけなかったような気がした。当たるも八卦当たらぬも八卦、それよりも八卦で心づもりや行動がシャキっとすることに重きを置きたいもんである。



m(_ _)m