meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『空間のレトリック』瀬戸賢一

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 読み始めたら止まらないのが、活字中毒期なもんで、なんだかんだと手にとって散らかしてしまう。そんでもって、この記事も「書き散らし」になる。「書き散らし」、この表現もメタファーであって、つまりは比喩だ。このメタファーってやつは、とっても奥が深い。奥が深くて、おもしろい。
 『空間のレトリック』も、その内容のほとんどはメタファーである。空間のメタファーがどんな普遍性を持っているか、どの程度ぼくたちの表現に、認識に、底流しているか、ってなことをいろんな例を示しながら解説してくれる。
 瀬戸賢一さんのレトリック関連本はぼくも何冊か持っている。この分野の大家の一人だろう。その著者の、少し前の、まだ荒削りな部分のある考察らしい。出版年は1995年。ん?もう27年も前なのか。。。汗

●◯。。。...

 レトリック、修辞学、文章をキレイに飾る、その技法の学問。レトリック系の本を読むと、まずこの誤解をとくところから始まるのが通例になっている気がする。レトリックはとにかく軽んじられ過ぎている。事実を歪めて伝えるものと捉えられたり、誇張するために、相手を説得するために、演説するために用いられるものと考えられたりしていて、それがこの分野の衰退を招いた。
 科学が幅を効かせ過ぎたのだと、ぼくは思う。科学的な記述(という名のレトリック)が、なぜだか客観という聖剣を手に入れて、他の修飾を不必要とぶった切った。それはそれで発展に必要なことだったのかもしれないけれど、その分、言語に根付いたレトリックがどんな作用をもたらしているか、考える機会が失われたのは残念なことだろう。
 わりと専門書なので難しいことがズラズラ書いてあるが、その辺は読み飛ばしてしまった。メタファーをどう分類するか、どれがメトミニーで、どれが違うのか、そんな厳密な議論や分類は、専門の方々に任せたい。
 大切だなぁ、と思うのは、説得力のある文章とするための、おやっと発見を促すような、名文のもととなる、そんな舞台の上でスポットライトを浴びるメタファーではない、「死んだメタファー」を見直すべきだとした点である。「死んだ」というのは、これまでのレトリック界で死んだと評価されるものである。新鮮味のない、馴染みきって目立たないメタファーたちだ。ただ、それこそが、ぼくたちの認識に深く根付く表現で、例えばこの「根付く」だってメタファーで、本当に根が張っているわけでもないのにその植物の根っこの感覚を、目に見えないぼくたちの意識の方に持ってきている。
 この切り口から認識に切り込んでいくってのは、アリだと思う。

●◯。。。...

 認識の仕方の中でも「空間」ってのはとても重要な位置を占めている。特に、時間の把握も空間的であるってのは、おもしろかった。ぼくたちは時間を「流れる」ものと理解していたり、矢のように「飛び去っていく」ものと言ったりもする。どちらも空間の中を動くものだ。
 しかもおかしなことに、時間にとっての「前」は過去である。「後ろ」が未来で、時間は未来から来て、過去へと過ぎ去っていく。「以前」は過去の表現だし、「以後」は未来。春は未だやって来ない、ので、いつか未来の方から「やって来る」。自分が前を向いているとしたら、前の方から来るのが未来で、後ろに過ぎ去っていくのが過去で、そうなると時間はぼくたちの後ろを前として見ている。時間が「→時間→」こうやって流れるなら、ぼくたちは「←人間←」こうやって進んでいる。「前途」は未来の表現だけれど、その視点が人間だから前が未来となる。「前歴」と言えば、ある基準時点からの「前」だから過去のこととなる。
 そのくせ、時間の流れの「上流」は過去であって、「下流」は未来だ。「時代を遡る」は過去に向かうことを表し、「時代を下」れば未来に近づく。このメタファーでは、時間は過去を後ろにして未来を前に見ながら進んでいる。おもしろい倒錯だなぁ、と思う。それと同時に、たしかに時間も空間的に捉えていることがよくわかる。

●◯。。。...

 空間のメタファーは時間に留まらない。内と外(入れ物と内容物。例えば「感情」は人間という入れ物の中に入っているように表現される)、上と下(上司もいれば部下もいる。組織は上下だ)、コトのモノ化(「洗い物」「遅生まれ」とかの言い方。ただこれは名詞になっているだけかなとも思う)などなど。ぼくたちの頭の中には何か空間っぽいものが設定されていて、その中で形がない概念も物体的に扱われているのかもしれない。
 世界の認識には身体が必要である、ってな話をどこかで見た。やっぱり人間はこの3次元空間をベースにして、そこから色んなものを組み立てていて、だから、人工知能なるものが本当に知性を育むためには、いわゆるロボット的な身体が必要なのだろうなぁ、なんて妄想にまで膨らむ。
 それにしても、これ系の本を読むと著者の知識量の半端なさに驚く。どうやってあれ程の例を集めているのだろうか。すんげぇなぁ。。。



m(_ _)m