これもクラウド積ん読本だった。『国家を考えてみよう』を読んだ勢いで、こっちの積ん読も読んでおこうかと思って、ざっくり読んだ。正直、おもしろい、というものでもなかった。中学生とか、高校生向けに書かれているからだろう。
これから科学を学ぼうとする人向けであって、おっさんが読むと物足りない。そりゃあ、仕方がない。とはいえ、科学を学ぼうとする人達には、まず、こういう基礎をおさえておいて欲しいなぁ、と、ぼくも思う。当然のことを当然とみなさず、批判的な目を持って、何が正しいかを考え続ける。そういう態度は、大学卒業までには身につけておくべきだろう。
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そんな偉っそうなことを言ってはいるが、じゃあぼくは科学を学んできた人間なのかというと、そうではない。一応、学士(文学)だけど、そんな称号、現代の日本で何かを保証するものでも、証明するものでもない。一定期間の学術的トレーニングを経た、とも言えない。学部生活なんて、単なるモラトリアムだからだ。
その割に、自分なりに科学的なものの見方を身につけてきたなぁ、と思えているのは、ずっとその方法に悩んできたからだろう。研究というものがわからず、どうやったら研究と言えるのかも知らず、教えられず、ただ何とかして自分の思考をしようともがいてきた自覚はある。それがトレーニングになっていた。まわり道はしたものの、こういう本で書かれていることを、そりゃそうだよなぁ、と読み流せるようになったのは、よきことなのかもしれない。
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ただ、最近そうやって、自分の頭で考える、ってのができているかが、怪しい。科学的な思考ができなくなってきた、とも言えるかもしれない。頭が固くなってくるのは、年齢を重ねた分、仕方のないこと、とは思うけども、うーん、いまいちだよなぁ、と。我ながら回転の鈍さを感じる。
だいたいの思想ができあがってきてしまっていて、こういう場合は何が正しそうか、とか、こっちが好みであっちは嫌い、とかがわかってしまっているからだろう。もっと巨大な未知に向き合わなけりゃ、とも思うが、そんな体力もねーや、と投げ出してもいる。これはあまりよくない。
年明けから読書のペースがあがってきたのをいいことにして、ひとつ大きな挑戦をしていかねばなぁ、と、ぼんやり考えている。考えてはいる。
m(_ _)m