meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『暇と退屈の倫理学』國分功一郎

 有給を取ったのだけど、結局何もせずにこの時間になっている。午後4時。いくつかの動画をyoutubeで眺めて、Tverでワンピースをひとつ見た。どれも暇つぶしのようなもので、何を得たわけでもない。夕方から天気は下り坂と聞いて、昼前にはランニングも済ませてしまった。
 さて、何をしようか。そんな感じで1日を過ごしている。贅沢なことかもしれない。

●◯。。。...

 休むのは好きだ。こうやって、無駄に時間を過ごすってのも悪くない。できるならば、ずっと暇でありたいと思う。自分が生きている時間を、自分の思うように使える余地だけが広がっている。ひたすらに自由で、自由だから何となく億劫になったりもする。そういう身分だったらなぁ、なんて、しばしば妄想している。あまりよろしい人間ではないのだろう。
 人間、暇であるときにこそ、なんか本性みたいなものが出てくるのかもなぁ、なんて考える。時間があるときに、何に手をつけるか。つけないか。それはきっと自分の選択で、好みがあらわれる。テレビがない我が家では、じゃんじゃん流れてくるコンテンツをひたすら消費し続けるって感覚もない。インターネットの世界は自分から情報を取りに行く動作が要る。それが実は、なんかいいところなのかもしれない。ぼく自身の感覚で言えば、企業から与えられるコンテンツに支配されているような気はしない。それなりに暇を楽しんで、退屈を受け入れる。退屈があるから、なんかやろっかー、って気にもなるもんだ。

●◯。。。...

 『暇と退屈の倫理学』を読んだ。暇とか退屈ってのも奥が深いらしい。ただ、ぼくは著者の文体があまり肌に合わないようで、読むのに苦労した。読まなきゃいいのに、と言われたけれど、なんか読まなきゃ落ち着かなかった。貧乏性なんだろう。
 狩猟採集していた人間が、定住するようになって貯蔵がはじまり、身分格差が生じて暇と退屈が生まれる。そんな暇と退屈を狙って、企業がコンテンツを仕掛け、資本主義が忍び込み、なんだかひたすら消費し続けるゲームになる。消費は満足しないとか。浪費をすべきとか。マルクスは労働時間の短縮を意図していたとか。浪費ってなんだっけ。語の定義が一般的なニュアンスから離れるの、やめてほしいなぁ。

●◯。。。...

 日本人は休むのが苦手だって話がある。まぁ、そうなんかもなと思う。余った時間があったらなんか詰め込みたくなる人達を、それなりに見てきた。ぐでんとソファーに座り込んで、何もしない人を見ると勿体なくなるし、そうやって過ごした1日と、なんか農作業とかしてみた1日では、たしかに充実感が違う。
 まぁ、でも、どっちでもええやろ、と思う。小庶民、なんかしたところで世界が変わるわけでもない。やりたいことがなければ、ぼーっとしていてもよい。1人の休日だし、そんぐらいの自由があっていいではないか。
 こういう暇と退屈は、とっても贅沢なのである。だから存分に浸ってみたらいい。



m(_ _)m