meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『無限論の教室』野矢茂樹 − ロジックってやつに蹴りを入れたい

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 『無限論の教室』を読んだ。なんで読もうと思ったのかは、よくわからない。ただ、野矢茂樹さんの本がKindleで安くなっていたから、手が出てしまったとも言えるし、いやいや、何かこの手の本を読んでみたい欲に支配されていたのかもしれない。実用的な本ばかり読んでいると、そんな気持ちにもなっちゃうのである。
 アキレスと亀という話がある。例えば、アキレスと亀が徒競走をするとする。アキレスは人間?だから、当然、亀より速い。だから、アキレスは亀の後方100mから走りはじめることとする。ハンディキャップ戦なのだ。
 では、アキレスは亀を追い抜けるだろうか。
 亀が分速0.5m、アキレスが分速300mだとすると、21秒後にはアキレスが亀を抜く計算になるだろう。当たり前のことだ。もし、実際に実験してみたとしても、同じような結果になる。
 ただし、こうも考えることができる。アキレスが亀との差を2分の1にしている間に、亀も少しだけ前に進んでいる。アキレスがさらに差を2分の1にしても、その時間に亀は少しだけ前進する。以下、同様の事態が続く。差を2分の1にするには時間がかかる。時間がかかれば、その分、少しだけだろうと亀は前に進む。すると、いつまで経っても、アキレスは亀を追い抜けない。
 なんだか、足が沈まないうちに前に足を出せば水面も走ることができる、的な話にも思えてくる。実際には、アキレスが亀をぶっちぎりで抜くハズなのだ。なのに、上記のロジックでいけば、いつまで経っても追い抜けない。なぜだろうか。

●◯。。。...

 論理というものをぼくはそんなに信じていない。1に1を足したら2だよね、とは習ったものの、では本当にそうなのかといえば、そうでもないことがあるかもしれない。論理ってのは、そういうもんなのだと思っている。アキレスと亀だって、論理的に考えていけばアキレスは亀を追い抜けるし、論理的に考えていけばアキレスは亀を追い抜けない。こんなことを書くと、矛盾だとか言われるかもしれないけれども、どちらの論理にだって、今のところ、穴があるようにも思えないから仕方がない。
 ロジックなんて、そんなものなのだ。
 先人たちが努力に努力を重ねて、こう考えるとうまいこと同じ事象が再現できる、という方法をつくりあげてきた。起こってしまった現実を説明するために、論理を発達させてきた。だが、それもひとつの道具である。ひとつの視野であって、全世界を統べる法則ではない。
 ということは、どこかにまだ未完成があってしかるべきだろう。ちょっとクセがあったり、歪みだとか、テヘペロしてるような箇所があってもおかしくない。これを完全無欠のスーパーサイヤ人だと思ってしまうのは、危うい。単に、今の時代に広く採用されているっぽいルールだと思っておいた方がいい。
 いつも、そう考えている。理屈に合わなくっても、それは仕方がないのだ。

●◯。。。...

 では、もうひとつ。自然数の集合と偶数の集合はどっちが大きいだろうか。
 どちらも無限に続くとされるものである。どうだろう。どう考えるだろう。自然数と偶数を一対一で対応させていけば、延々と続けることができる。だから同じ大きさだと言えるだろうか。本当にそうだろうか。
 合わせ鏡の世界はどこまでも続いているように見える。その世界に入り込んで、突き詰めて考えていけばいくほど、うさんくささが漂いはじめる。そんなぐらぐらした基礎の上に、わたしたちの日常は成り立っている。の、かもしれない。

 

m(_ _)m

 

 

無限論の教室 (講談社現代新書)

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