meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

何がしたかったんだっけ問題。

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 30代も半ばにさしかかって、何がしたかったんだっけ問題を抱えている。何かがしたかったわけではない。なんだけど、何だかいろいろなことをしてきて、できたことも、できなかったこともあって、結局、何かの専門家になったわけではない自分が残っている。そういえば、何をしたかったんだろうなぁ、なんて考え込んでしまう時間も増えつつある。
 もともと、夢や希望や、やる気や元気のある人間ではなかった。根拠のない自信だけはあったような気がするけど、それもどこかで落っことしてしまった気もする。持っていたのは違和感だけと言ってしまってもいいのかもしれない。
 これはおかしいんじゃないか、という感覚。誰も望んでいないのに、不況がやってきて、みんながみんなで苦しんでいる様子とか、ただただひたすらに「利益」を追い求める姿勢とか、そういうものに対して、気持ち悪さをもってしまう。だから、その気持ち悪さがちょっとでも軽くなるような活動に、それとなく関わっていった。

●◯。。。...

 思い返してみると、2009年にはソーシャルファイナンスという言葉を知り、社会起業家を支援していて、ちょこっとは地域の活動に入りはじめていた。2012年ごろには(ラッキー池田みたいな言葉を使うならば)ソーシャルビジネスのスタートアップにジョインしていて、2年ほどぐるんぐるんした後に振り落とされた。そっから先はしばらくのワインディングロード。何だかんだあったうちに島根にたどり着いて、3年間は山陰暮らしを楽しんだ。
 基本的には、感じた違和感に忠実に動いていた。これはなんか問題だなと思ったことに、ゆるやかに向かっていた。
 その方向を見失ったのは、こっちに戻って来てからだろう。自分に変更をかけて、違和感のある世界に突っ込んだ。もちろん、最初は変えていける見込みをどこかに感じていたからだ。その見込がなくなったときに、行くべきところが見えなくなった。とりあえずは生きていかねばならぬという、ただそれだけで動いている状態である。今の場所をよくしていこうという気力は湧いてこない。

●◯。。。...

 現状に問題を感じるから、それを何とかしようとする。それが公式だった人間が、現状の問題を何とかしようとも思わなくなってしまった。周囲や組織や社会の課題をメインに考えていた人間が、とりあえず自分のことばかり考えている。最近、何も活動をしていないなと感じるのは、そのせいだろう。周りの人のことを、悪い人ばかりだとは思わないが、関わっていこうとも思えない。結果、今の自分には意志がない。
 昔なら、例えば、日韓関係の悪化についても何か書いていた気がする。危険だな、と思うところがあるからで、そういうことについては何かしらの警鐘を鳴らしておくべきだろうと思うからだ。このブログは、わりとそういう、自分勝手な意図がある。書くことに、うっすいながら意味をつけている。
 今は、その意味も感じられなくなりつつある。思考停止が常態化している気配に、自分に対しての危うさを見る。

 

m(_ _)m

 

 

 

雲は天才である (講談社文芸文庫)

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