meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

振り返りと記憶。2019年を顧みて。

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 今年も年末を迎える。もう年末かと、心底思う。時の流れは速い。一方で、去年の年末を昨日のことのように思えるかというと、そうでもないから妙である。年末がスグに来たな、という感覚と、去年の年末を遠い昔のこととしか考えられない感覚が、同居している。
 昨日の夜、今年の振り返り会的なことをしてみた。突発的に、久々にプロッキーを出して、大きな紙に書きながら、2人であれやこれやと今年のことを思い出してみる。まずは1月。何をやっていたか。2月は何があったか、3月はどうだったか。月ごとに問うてみると、意外と何も思い出せない。どうだったかな、と、手が止まってしまう。
 何やってたんだっけ?

●◯。。。...

 ただ、何となく小さなことから口に出して、書いていると記憶が立ち上がってくる。記憶は芋づる式である。そういえば、今年の1月にはまだ家にGoogle homeはなくて、小さな携帯ラジオでニュースを聞いていた。そういえば、鉄フライパンを買ったのは2月だから、それまではくっつきまくるフライパンで料理をしていた。3月に平田オリザの演劇を見に行って、たしか春のどこかで6-dimも見たんだったっけ。
 あれやこれやと話していると、記憶が順序を無視して、ごった煮になってきた。えーっと、平野啓一郎の講演聞いたのは、平田オリザの演劇見に行く前だっけ、後だっけ。たしかこの時期には、山登りにも行っていて、出張も入ってたよねぇ。
 何にもなかったような1年だったくせに、よく考えると多くの出来事が詰まっていたようで、大きな紙がプロッキーの文字で埋まっていく。秋のことが既に思い出せず、よく転職活動しながら資格の勉強してラグビー見つつ旅行に行っていたなぁ、などと、他人事のように眺めてしまった。
 忙しかったような気はしない。密度が高かったような感じもない。それでも、どうやらそれなりにコトを経験していたらしい。秋さえも遠くに思う。世界が変わってきている。

●◯。。。...

 実にたくさんのことを忘れて、今ここにいるのだなぁ、と、改めて思った。とっても大きなイベントでさえも、ストンと抜け落ちていたりして、意識しないとそのまま消えてしまう。それが悪いことなのか、いいことなのかはわからない。風景の全てを背負ってきているくせに、その実感はなくて、多くは捨象される。
 何となく、今年もはやかったねー、とか、何にもなかったわー、という言葉で平坦にならされた感覚で、年末を迎えるよりは、こういう凸凹に目を向けて、ちょっとは自分の足跡を拾い上げて、次の年へ行く方が、豊かなんじゃないだろうか。突発的に振り返って、無責任にそんなことを考えた。
 今年も、あと2日である。

 

m(_ _)m