休み始めて何日目だろう。今日は久しぶりに名古屋まで行ってきた。定期券が切れるからだ。たまに行く古着屋さんをのぞいてみたけど、そんなに買うもんもない。物色を切り上げて、栄から鶴舞公園まで歩いた。いい天気だから、桜が綺麗に見られるだろうと、そんなことを思ったのだ。
桜は、5分咲きぐらいかなぁ、といったところだった。こんなにあったかいのに、意外と咲いていない。大学生やカップル、夫婦、おっちゃんおばちゃんたちが、まぁまぁの距離感でシートを広げて、宴会したり、ピクニックしたりしていた。
コロナだなんだと言っても、人は桜を見たくなるもんなのだろう。この時期にウェーイっと宴会をするのはどうだろうなぁ、なんて気持ちがなくはなかった。だけど、大学生がコンパしないのも不自然だろう。気持ちのいい青空で、あったかくて、桜が咲いている。騒ぎたくなるのもよくわかる。咎めようとも、批判しようとも思わなかった。
かくいうぼくも、宴会ではないにしろ、桜に誘われて来てしまったのだ。その辺に座り込んで、ファミマで買ってきたおにぎりとパンを頬張った。
桜は意外と咲いておらず、人出は意外と多かった。
●◯。。。...
明るいうちに帰ってきて、洗濯物を取り入れてから、ランニングに出る。ほんとは今日は全部オフの日にするつもりだったのだけど、走りに行きたくなってしまったのだ。身体を動かした方が、気持ちがいい。
有給消化の日々は、不規則なリズムになっているようで、そうでもない。毎日、朝は6時半ごろに起きてきて、ご飯を食べて、見送りをして、家事をする。朝の8時から9時の1時間は、デスクに座って作業すると決めている。そうしてしまえば、あとは勢いでなんとかなる。家事と勉強とトレーニングを組み合わせて、1日を終える。期間限定で無料になっているワンピースを読んだり、TVerでちはやふるを見たりもしているけれど、それほどの「傾き感」はない。不健康な感じにはならない。
こういう生活に慣れていることもあるだろうし、年齢を重ねたこともあるだろう。昼寝が大敵だということや、料理をつくるようにすることや、1日に何度かは外出することを、ぼくは知っている。それらの要素が積み上がって日常になることを、知っている。
●◯。。。...
コロナのせいで積極的に予定を入れてはいない。人に会うのも、ちょっと気が引ける。だけど、家の中にいても、やりたいことや、やるべきことはきちんとある。こんなときだからこそできることを頑張るのもいいのだろうけれど、あんまり気張ると、妙な空回りを起こしてしまう。
日常をきちんと刻むことを意識する。当たり前に日常を続けられることのありがたさを思う。
m(_ _)m