meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

文章と怒り

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 書きたいと思うことがない。最近。いつもどおりと言えばその通りなのだけれど、そんなに発信したい欲が湧いてこない。もっと書きたいことがある人間なのだと思ってきたけれど、そうでもないらしい。いや、それは自分が変わったからなのかもしれないし、転職して書く余力がなくなったからかもしれない。
 長年ブログを続けていると、そういう時期も何回か経験するものである。どうにも筆がのらない、書きたいことがない、テーマが見つからない。概してそういうときは、自分が動いていなかったりする。何かに取り組んでいないから、経験がなく、ネタがない。何も言いたいことがなく、言うべきこともない。
 それは多分、言い換えてしまえば、生活が満たされているってことかもしれない。

●◯。。。...

 特にこのブログの記事を書くにあたって、原動力になるのは「怒り」なような気がしている。世の中があっち側に流れているから、こっち側の流れにも目を向けなよ、ってなことをちょっと書ければいいんでないか、とか、そんな雰囲気がある。それは、ある意味では怒りで、怒り方が下手なわたしの、小さな抵抗なのだろうと思う。
 だから、社会に違和感がないと、書くこともそんなになくなってくる。わたしの場合、最近の違和感のなさは、自分が社会側に染まってしまったことに起因する。オルタナティブな小さな流れから、メインストリームな大衆、庶民に回収されてしまったことによる。まぁ、アナーキーな世界から普通一般のピーポーになったわけである。たぶん。
 そうなると、社会の動きに鈍感になってくる。あちこちにあったささくれに気付かなくなってしまうのだろう。Facebookで流れてくるソーシャルな話題に触れても、どっちかというと、「そうは言ってもねぇ」ってな感想を抱くようになりつつある。メインストリームな人達の様々な事情も、何となく推察できるようになってしまったのだ。

●◯。。。...

 あんまり怒っていない自分がいて、じゃあ、何を書いたらいいんだろうなんてことも思う。特に意味のないことをつらつらと書いてきているわけだし、実際によく読まれている記事は無印良品の鉄フライパン記事だったり、夏の暑さについての記事だったりするわけで、なんのために書いてるんだろうなぁ。とか。
 それでもまぁ、書くのだ。文章を書いてないと、何か落ち着かないような、そんな気がするから。

 

m(_ _)m