meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

岐阜に来て、2年が経っていました

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 コロナのせいで忘れていたけれど、岐阜に来て2年が経っていました。今年の5月末でちょうどまるっと2年です。いつもの通り、いつの間にやら、です。振り返ればそんなに経っていて、それでも思い出してみたら、すごくいろいろな経験をしてきています。2年前、岐阜に来た頃の感覚が、もう遠い遠い昔のことです。
 何より、職が変わりました。来た頃は狭間の期間で無職でしたし、それから働き始めた会社は名古屋にありました。だから、岐阜から名古屋に通うサラリーマンになって、1年と9ヶ月ぐらいは、満員電車に揺られていました。
 その名古屋通勤期間にもいろいろな事が起こっていて、政変や異動に振り回されつつ、なんとかかんとかやってきて、それでもやっぱり、岐阜に住んでいるのに、地方で生きていたいのに、名古屋に通うことへの気持ち悪さを抱えていて、半年以上かけての転職活動を経て、やっとこさ、今年の4月からは岐阜で働けるようになったのでした。
 職というテーマだけでも、この2年のうちになかなかに大変な時期を過ごしてきたんだなぁ、と改めて思います。そして、そろそろ転職から3ヶ月経ちますが、たった3ヶ月で、生活のリズムも、考え方も、前の会社のものとはガラリと変わっていて、「あの頃」が出来上がっていることにも、少し、驚きます。人は不思議なものです。

●◯。。。...

 地方郊外民らしい生活にも、だいぶと慣れた気がします。週末はショッピングセンターです。あちらこちらにある大規模ショッピングセンターに行き、ユニクロ無印良品を見てまわって、帰り際にスーパーで野菜やお肉を買う。まったくの地方郊外民です。
 島根にいたときほど自然と戯れることはなく、まち歩きからも遠のきましたが、それでも山が近くにあることを楽しみ、ショッピングセンターの駐車場から見える田園風景を気持ちよく味わっています。去年はそれなりに山登りにも行っていましたが、今年はちょっと難しそうです。
 相変わらず岐阜友も出来ていなかったりして、なんとかしたいんですが、それもコロナが邪魔をしています。何か活動ができるといいんですけども、この時期に飛び込むのは気が引けてしまう。仕方がないことですが、今は、じっくりいくべきなのでしょう。
 コロナの面で言えば、やはり、地方の方が安心です。みんなもっと分散して住んだらいいのに、と、思います。とはいえ、わたしもかなり都会に近い地方にいるので、なんとも言えないところですが。岐阜程度で地方民を語るな、と、言われそうな気もします。

●◯。。。...

 島根から出るときに、東京に行く、という選択肢を捨てたことを、今、どう思うだろうか。そんなことを考えてみたけれど、特に何か、間違っていたとか、正しかったとか、そんな気持ちはなさそうです。東京に行ってもよかったんだろうし、後悔もしただろうなぁ、と思うばかりで。つまるところ、都会も地方も、どっちがいいかという話ではなくて、たぶん、どっちが好きか、ってぐらいのことなのでしょう。
 岐阜に来て、裏庭の畑も、枇杷の木もなくなりましたが、ちょいちょいプランターで野菜を育てています。今ある状況で、それなりにできることをやってみることができている。豊かさって、それぐらいのものなのかもしれないなぁ、とか、思います。
 写真はこの前見に行った株杉です。何度も伐採されて、こんな形になったんだそうな。なんとまぁ、逞しいもんです。

 

m(_ _)m