meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

仕方がないは仕方がない

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 仕方がないから仕方がないって言ってるんだけれど、実際には仕方があったりすることもあるから、なんとも言えない。とはいえ、仕方がないことを仕方がないと受け入れてもらえずに、強情に襲われてしまうのは、なんとも切ないし、メンタルを消費してしまう。モノワカリのよさも悪さも使い所ではあるが、だからといって人の消耗を誘ってはいけぬなぁ、と、思う。
 人間、仕事をしていれば理不尽に見舞われることがそれなりにある。どうしようもない時間にどうしようもないことを依頼されて、どうしようもない期限を設定されてしまったり、とっても手のかかるどうでもいいことを妙に押し付けられて時間を浪費したり、「仕事」というものはそういうことの連続で成り立っているのではないかと思ってしまうほどに、理不尽案件は多い。
 それらをどの程度の範囲で、まぁ、仕方なし、やるべさ、と言うかどうかは人による。人によるから、弾力性の高い人もいれば低い人もいて、あんまりにも低いとガツンッと跳ね返ってしまうのである。跳ね返った石は痛い。

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 あきらめってのは、なかなかに難しい。理不尽な要求ってのは、とりあえず自分側で泥をかぶっておけばいいものなのだけれど、そればっかりでは自分が泥まみれになってしまう。それはしんどい。だからといって、跳ね返してしまうと泥のかけあいになってしまう。下手に感情を逆撫でてコトを大きくしてしまうならば、単なる徒労に終わるだろう。
 こういう場面で、杓子定規になってはいけない。ピシッと線を引いてしまうと角が立つ。やんわり、ほんわり、たまにチクリが基本である。何より、笑顔を忘れてはならない。笑っていられる人が実は一番怖かったりするのである。
 こちらが泥をかぶらないと、あちらも泥をかぶってくれないのが日本人だなぁ、と思う。三方一両損ではないけれど、あっちも損で、こっちも損だから、まぁいいよね、と言える心性が我々には備わっているのである。そういう損を楽しんでいるふしさえ、感じなくはない。

●◯。。。...

 損を共有すると、ちょっと仲間になった感じがしないだろうか。損がいい関係性のはじまりになることも、わりとある話だったりもする。いい関係は、次につながる。損も得なり。転んでもタダでは起きないのである。
 特に、日本っぽい組織でやっていくには、こういうバランスを上手くとっていく必要がある。まさしく、柔よく剛を制すの姿勢が大事なのだろう。まったくめんどうくさい世の中なのだけれど、それが世の中らしいのだから、仕方がない。

 「とにかく機嫌よく仕事をすることが大事です」ってなことを、誰かが言っていた気がする。なるほどなぁ、と思った。機嫌さえよければ、話し合いもできる。理不尽よりも、感情に振り回されてしまうことの方が問題なのかもしれぬ。せっかくなので、なるべく愉快に生きていたいなと、思う。

 

m(_ _)m