meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

2020年を新型コロナの一言で終わらせないために。

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 今年もあと3日、というところまで来た。正確には、あと2日と数時間ってところだろうか。2020年も、もう少しで終わる。この1年は、長かっただろうか。短かっただろうか。なんとなく、振り返る季節でもある。
 そうなると、どうしたって、コロナの話になってしまうだろう。この日本で、新型コロナのことを知らない人なんているだろうか、ってぐらいに、大きな大きな影響を受けてしまった。社会全体が振りまわされた。ああ、今年はコロナだったね、と言って、それで全てが片付いてしまうような、そんな状況になっている。
 そして、現在進行形で、感染は拡大している。

●◯。。。...

 2020年は、もうなかったものとして扱ってしまってもいいんじゃないか、なんて言葉も、冗談半分に出てきたりもする。とはいえ、2020年は確かにあって、みんながその1年を過ごしてきた。そこは忘れちゃいけないことだと思う。
 コロナの一言に全てを込めてもいいのかもしれないけれど、そこは少し、分解しておいた方がいいだろう。コロナだったねぇ、で終わらせてしまうのは、きっと、もったいない。どんなことが起こったのか、そのとき、どんな気持ちになったのか。自分はどんな対応をして、どんなことを発見しただろうか。
 ある程度言葉にしておくことで、2020年が豊かな経験になる。そう思う。

●◯。。。...

 最初はシンプルに怖かった。3月の中旬までは、名古屋まで電車通勤していたから、いつ満員電車の中で感染するかわからず、落ち着かなかった。駅のホームや、電車内で、注意喚起のアナウンスが流れていて、異常事態感が漂っていた。そのくせ、会社ではみんながいつも通りに出勤していて、マスクをしていない人も普通にいて、そのギャップに戸惑っていた。
 4月からは転職で車通勤になったが、行った先でもマスクが必須になっているわけでもなくて、驚いた。そのスグあとに、一気に規制が強まって、マスクなしが考えられない状態になったのだが、それでも、周囲はいつも通り出社して、いつも通りの仕事と、降りかかるコロナ対応をこなしていた。
 この「いつも通り感」みたいなものは、1年を通して、ずっと続いたように思う。人間、日々のルーティーンはなかなか止めないものなのか、止められないものなのか。それとも、意外と図太いのか。理由はわからないが、異常の中でも通常を続けようとする、強い慣性があった。
 なんとなく、『この世界の片隅に』で見たような戦時中の日常風景を思い浮かべてしまうことがあった。もしかしたら、危機感を抱くべきときにのんびりと日常を続けてしまい、いつの間にか茹で上がった蛙になってしまうのかもしれない。ただ、この呑気さ、鷹揚さが、人をパニックから救ってくれていることも、見逃せない。慌てふためいた人の洪水ほど、手に負えないものはない。
 大丈夫、人間は意外としぶとい。最近はそう思うようにしていて、たぶん、実際しぶといのだと思う。

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 パニックと言えば、トイレットペーパー騒動には落胆させられた。自粛警察もなかなかに狂気であった。集団が引き起こす雪崩について、考えさせられた。そのくせに、Facebookで見かけたマスクなしの飲み会写真に対して、苛ついた自分がいたことも発見であった。思わず、そんな写真をアップしないでくれとコメントしそうになるほどで、それは取りも直さず、自粛警察のようなコメントになりそうであった。冷静になって、ぐっとこらえた。
 世論の力はなかなかに激しい。社会は眺める対象のようだと思っていると、すっと足をすくわれる。自分だって、社会の中にいる。頭のおかしい奴らがいるなと言っていた、その当人だって仲間入りしてしまうこともある。そして言うのだ。この意見にだって理があるじゃないか、と。
 ぼくたちも紙一重でトイレットペーパーを買いに走るし、紙一重で自粛警察になって取り締まりをしてしまうのである。その差は、実に小さい。気をつけないといけないなと思うと同時に、その紙一重でわかれる世界を通すコミュニケーションの大切さを痛感する。やっぱりそこはロジックではなくて、応対のしぐさであり、普段からの関係性なのだろう。自粛警察の理をわかろうとする努力なくして、その行動を指摘することはできないのだ。

 しかし、第1波が収まってからは、案外みんな冷静だったようにも思う。感染者は桁違いに増えているのに、それほどの狂気が見えてこない。これはマスコミがピックアップしていないからだろうか。それとも飽きてしまったのか。例えば「コロナハラスメント」という言葉がもう少し早く出てきていれば、狂気は少しおさまったのかなぁ、なんて疑問も浮かんでくる。
 緊急事態宣言が出ているか、どうか、とは関係なく、社会全体が怯えて走り出してしまう要因があるってことだろう。

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 新型コロナに関して言えば、不明であること、が一番大きかったように思う。みんなを震え上がらせたのは、それが正体不明の新型だったからだ(ところで、コロナはいつまで新型なんだろう・・・)。人間はこれからどうなるかがわからないことが怖い。こうすれば困難を避けられる、という公式が見つかるまで、不安が続いてしまう。豪胆に、腹を据えて取り掛かろう、という態度が取れるようになるまでに、時間がかかってしまうのだろう。
 謎があらわれたときには、謎を噛み砕く人がいなければならない。今回はそれが感染症の専門家で、そういう意味では、研究する人たちの大切さを再認識した年でもあった。そして、まだわからない時期に、宙ぶらりんな時間をどうやって過ごすかを導く人も、同じくらいに大切なのだろう。
 ときには、とりあえず痛み止めを飲む、みたいな対処だって、必要なのだ。

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 そうこうしているうちに、今年が終わっていく。まだコロナの渦中だ。ぼくは、例年になく、なにもない年末年始を過ごしていて、年始からは、それなりの気合いを抱えて仕事に向かう。2021年には、だいぶと謎もほぐれていくだろう、という期待を持って、いつもの日常を取り戻していくのだと思っている。

 

m(_ _)m