2021年、あけましておめでとうございます。
昔から、この「おめでとうございます」というのはなぜなのかと疑問に思っていたのですが、いつだったか、無事に新しい年を迎えられるってことはとっても難しいことで、それが成されたから「おめでとう」なのだよ、ってな話を聞いて、ああ、なるほどと納得しました。
生きること自体が難しい時代があって、いくつもの難局を乗り越えてきた歴史があるから、今はこうしていられる。生きて1年を過ごせたこと自体がとても喜ばしいのだと、今は痛切に思います。
新年、あけましておめでとうございます。
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岐阜の朝は雪でしたが、時折日が差し込み、昼辺りからは小雨となって雪を溶かしてくれています。今はそんな雨もやんで、曇り空の下、とても静かな元旦です。
どうやら新型コロナの感染状況は芳しくなく、町内放送(市内放送かな?)で県をまたぐ移動の自粛ばかりではなく、初詣の自粛、在宅の徹底、家庭内感染の予防まで呼びかけていました。ということは、大晦日も元旦も関係なく対応にあたっているスタッフがいるということでもあり、その苦労には頭が下がります。
わたしとしては、Facebookに投稿される帰省だとか初詣だとか飲み会だとかの写真たちに負けずに、なるべく巣ごもりをするしかないなと思っています。耐えるしかない。こういうとき、TVerでニューイヤー駅伝とか、箱根駅伝も見られるのはありがたいです。
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そんな、見ようによってはものものしい雰囲気の元旦ながら、なんとなく、今年はよい年になるのではないかなー、と楽観しています。根拠は特にありません。でも、たぶん、去年が凹んだ分、今年は日常のありがたさをしっかり感じられるだろうし、オリンピックはあってもなくても、それを陽のエネルギーに変える動きがあるような気がしています。
こういう予感とか、気の問題って、つまりはスピリチュアルなんだけど、わたしはそれなりに信じていたりして、大切だなぁと思っています。普段、データを扱ってるくせに。
人が生きている世界はナマモノで、どう考えたってやっぱり自分しか認識できない世界でしょう。だから、自分の予感は大事にする。せっかくいい感じの楽観頭になってるので、バカ正直に、いい年になるんだなぁ、と思っておきます。
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もうちょっと積極的に、いい年にしよう、という気合いも、もちろん、少しは持っています。これから取っ組み合っていくものも見えています。けど、たぶん、いい年に「なる」んだと思う。そういう感じが今年っぽいのです。
自分自身の世界なのに、自分の努力でどうこうできる部分なんて、まぁ、そんなにたくさんはありません。それこそが自分だけがこの世界に生きているわけじゃない証拠でもある。わたしはそれなりに頑張って、あとはそれなりに無責任に、天に任せます。
いい年になったねー、と談笑しながら、また次の年を迎えられるのを楽しみにして、今年をはじめたいと思います。
今年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
m(_ _)m