meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

テストの点数なんて言うもんじゃない、という反省。

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 テストの点数なんて言うもんじゃない。特に社会人になってから、周りの人に点数を言ってイイコトが起こったことはない。原則的には、沈黙が金、言わないのが花なのである。よほど信頼している人にしか、言うもんではないのだ。
 てなことを知っていたにも関わらず、ぽろっとこぼしてしまった。まったくもって反省である。どんだけせがまれても、やんわり流すべきだった。職場で受けさせられるTOEICのスコアである。そんなにいい点でもない、という自己認識もいけなかったかもしれない。相手の世界認識をもう少し慮るべきであった。
 おかげで妙な感情の標的になってしまう。おかげで妙な気の遣い方をしなければならなくなってしまう。

●◯。。。...

 いい結果なら人に言っても構わない、というのは大きな間違いである。誇ったらいいじゃない、という意見も全てのケースに通用するものではない。例えば、京都大学出身、という経歴をどうやって明かしていくかは、転職後最初にぶつかる課題であったりする。人によっては、それがナイフのように突き刺さってしまうからだ。基本的には、ひっそりと、こっそりと差し出していくものになる。時期を見計らって、頭を下げながら明かすものだ。あまり噂が広まってしまうのも、困る。それなりに対処がめんどうくさい。

 こういう面倒は社会に出てから前面に出てくる。学生時代には、どちらかというと後ろに隠れていたものだ。中学や高校ならば、点数は隣を意識して切磋琢磨するためのいいツールにもなる。たまに「化け物」とか言われて世界を切ってこようとしたりもされたけれど、基本的にはみんな同じ土俵で戦っている感があった。
 ところが社会となると、これが陰湿化する。特に、周りにいる人に気をつけた方がいい。同僚は最も危険な相手になる。仲が悪いわけではなくても、互いが互いにマウントを取ろうとする世界である。仕事を優位に進める土壌を耕そうとするのは、ある意味で、仕方がないことだ。
 こういったマウント取りには、様々な手法が使われる。実力をつければいいってもんじゃなく、徒党を組むこともあれば、仲間外れに持っていくこともある。残念ながら、組織は感情で出来ている。そこも踏まえて、立ち回れる奴が有能である。有能さの定義は、単純ではない。

●◯。。。...

 今回は、ほんとに言わなきゃよかった、と思わざるを得ない。もうちょっと湿度低めに、カラッとサッパリとしていればいいのだが、そうでもない現状なのだから、それは仕方がない。なるべく気にせず、無駄に対抗心を刺激せずに、過ごすしかない。しばらくそういう態度で凌げば、そのうちにトゲもおさまって来るだろう。
 頭がいい人はいいよねぇ、的な話をときどきされてきたが、そういう人から勉強しようとする意志を感じることはない。きっと、「頭がいい人」がどういうことをしてきたのかを想像したことがないのだろう。それ系の人が吐いたため息は、ベトッとまとわりついてきて、気持ち悪い。
 ああ、めんどくさい。人ってのは、ほんとめんどくさい。

 

m(_ _)m