meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

春を思わせる、1月の終わりに。

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 日曜日の昼下がり。昨日の朝は雪国だった岐阜に、春を思わせるような日差しが届いている。買い物から帰って、急遽、洗濯をすることになった。それなりに気温も高い。あたたかくなると、活動する気力も湧いてくる。人は単純で、ゲンキンなもんだなぁ、と思う。
 春になったら何かできるだろうか、と考えている。春になって、あたたかくなったら、少しはコロナも落ち着いていて、そろそろ何か動きをつけていけるのではないか、なんて、甘い妄想だろうか。
 転職してからは、とりあえず勉強を優先させてきた。右も左もわからない、という状況は、まさしく言葉の通りであって、本当に何もわからない。会議室がどこにあるか、あの人はどこの部署の人か、そんな基本的な知識が全くないので、まずはそれらを覚えることだった。
 加えて、業種もがらりと変わったから、専門知識も追いつかなかった。サーバーとは何か、どうやって操作するのか、ネットワークの障害はどうやって検知されていて、どう対処するのか。こちらの方はまだまだ追いつかなくて、技術自体もどんどこ進んでいくので、なかなかに手強い。追いつく目処はたってない。
 とはいえ、一から十まで全てを理解している人間なんて、そうそういない。それがシステムであったとしても、同じである。みんな、それぞれの持場の中で、わからないことをわからないままにしながら手を動かしている。その部分的盲目によって生まれる無駄は、組織の中でうやむやに、吸収されていく。全体として動く、というのは、そういうものだろう。知っていることだけ、知っていればいい。

●◯。。。...

 ぼく個人としては、その知っていることをもう少し増やす必要を感じているから、やっぱりもうちょっと勉強はしないといけない。勉強は眠いけど、わかっていくことを楽しいと感じられる性格になっておいたのはよかったと思う。ああ、このアプリケーションの名前は、このプロトコルの名前からきてるのか。そんな程度のことでも、知っていれば理解の助けになる。暗記する姿勢も変わってくる。経験がない分を、この辺の性質で埋めておかないとならない。
 しかし、である。そればかりでもおもしろくない、という気もしてくる。もともと、だいたいの場合、ぼくは組織から半分ぐらい外にはみ出しながらやっていく人間なのである。コロナの影響もあって、外に行けない日々が続いてはいるが、そろそろどこかに手がかりをつくっていきたいなぁ、と思っている。
 何ができるだろうか。何が求められているだろうか。少しずつ、見ている世界を変えていかないといけない。

●◯。。。...

 1月も終わる。2月もきっと、同じような日々になる。まだ大手を振って外に出ることはできないだろう。
 それでも、ここが仕込み時だと思えば、背筋も伸びる。

 

m(_ _)m