言葉が空まわっている。宙に浮いている。地に足がついていない。ふわふわしている。今の職場に来たときから、いや、そのもっと前から、どしっとした言葉を引き出せないようになっている気がする。
昔はもっとうまく話し、もっとキレイに書けていた、というのは幻想なのかもしれないが、それでも、今よりは芯のある文章を作っていたように思う。
だいたい言葉ってのは、自分自身の方向と合致しているときには腰が入ったものになる。これが書きたいなぁ、とぼんやり考えていることが、そのとき自分の向かっている方向と同じになっている。ぼやっとした意志が、自分の身体をカタパルトにして射出されるようなもので、その2つの向いてる方向がバラバラだと、力が入らない。下手をすれば、伝えたかった内容が散り散りになってしまって、雲散霧消、自分と相手との間に広がる空間にさぁーっと薄れて消えてしまう。
そういうときに、言葉が空まわってしまう。対策は、言葉を重ねることではなくて、方向を合わせることなのだが、いかんせん、それも難しくなっているのが現状である。自分のあり方ってのはなかなか、思うようにはならない。
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ばくっとしたことを書いてしまったけれど、どうにも最近、自信を持った語りができなくなっているように感じている。
ワークショップだのグループワークだのをやってたのは、もはやはるか昔で、そんときはまぁ、流暢になんやかんやと偉そうなことを宣っていた気もする。その後、島根暮らしでのんのんしていたときには、編集学校で正常とは言い難い文章量を生産していたのもあって、それなりに軸をもった言葉が出てきていた。問題はそっから後の道筋で、やっぱりどこか生活の必要に迫られたものがあって、ぐにゃりと何かが曲がってしまった感は否めない。
とはいえ、だからといって、今の状態が悪いと思ってはいない。人生ってのはままならないもんだろう。思うようにはならないこともあって、それなりに考えて、それでも何とかうまくやっていくところに、おもしろさがあると考えた方がいい。
だから、ぼくはどこかでアジャストする必要があるのだろうなと、なんとなく考えている。方向をもう一度見直していけば、視野も開けてくるんだろうなぁ、とか。
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こんなことを書きながらも、ぎりぎりブログを続けているのは、やっぱり文章を書きたいからで、そういう意味では、こうやって自由にざっくばらんに、テキトーに書く場所があるのはとってもありがたい。
いい時代に生まれたなぁ、と思いつつ、さまようよろいが、くさったしたいみたいにならないように、あるべきところを探しまわりたい。
m(_ _)m