meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

meta について

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 おっと、どうしようか。Facebookが社名を変更したらしい。新しい社名が、なんと「Meta」とのこと。おうおう、まるかぶりやんけ。まるかぶりやんけ。。。
 いちおう、念のため、言っておくと、わたしは旧Facebook社と何ら関係がない。あるとしたら、ひとりの個人ユーザーであって、今でもFacebookにきちんと投稿してたりするおじさんの中にいる誰か、である。だから「メタ」に関して大いにかぶったのは大変偶然なことであって、さらに言えば、この名前に関してはわたしの方がずっとか先輩なのだ。
 なんせ、このブログは10年以上前からこの名前でやっている。もひとつ言えば、わたしのメールアドレスにはちょいちょい「meta」が含まれている。大学生の頃にはこの概念をネット空間で使用しているのだ。
 えらく巨大な新米が乗り込んできたもんだ。

●◯。。。...

 なんで「meta」なのか、って話は、たぶん、これまでどこにも書いてこなかった。どこかで話したこともないと思う。ブログ以前から使っていた言葉だったし、まぁ、なんかつくるならこの名前がしっくりくるなー、ぐらいのノリで決めたものだから、強い思い入れがあるわけでもない。周囲にとっても、あぁ、そういえばあいつそんな名前使ってんなー、ってな具合で、違和感がなかったのかもしれない。
 わたしがこの概念をどこで仕入れてきたかは、もはやわからない。覚えてない。ただ、確か「高次の」という意味がある言葉で、なんだろう、わたしとしてはインターネット世界が平行世界に見えたので、そこにある自己、のような意図でこの言葉を使うようになった。
 なんとなーく「2次的な」って感じの語義があったような気がしていたが、今、調べてみると、ちょっとニュアンスが違ったようだ。ただ、メタ認知やメタメッセージ、メタタグのように、やっぱりどこか少し離れたところで、かつ、現実に沿った形で、自分がいるような、伏流しているような、そんな感触がある言葉だと思う。
 だからインターネット側にぴったりだと考えた。そんなブログであったのだ。

●◯。。。...

 と、考えると、まさに「Meta」の意図と同じなんだろうなぁ。概念としては、先見の明がわたしにあったということだろうか、まぁ、そういうことにしておこうか。
 振り返ってみれば、「セカンドライフ」ってのも一時期流行ったわけで、なにもわたしが賢明ってことでもない。もともとインターネットはメタ的なものなのだ。今はその根本的なとこが置き去りにされてしまって、とってもツールになっているけど、そんなことはない。
 せっかく「Meta」になったのだから、この概念をぐっと深堀りしたサービスができてくるといいなぁ、とか、なんとか、外野から眺めている。



m(_ _)m