meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

英語を身につけようとする。

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 たまに、自分が京都大学出身だったことを思い出す。先日のTOEICなんか、まさにそんな機会で、そんなに勉強した気もないのにうっかり過去最高のスコアを叩き出してしまった。ああ、ぼくって賢い部類の人間だったのだなと、こういうときにだけ感じてしまう。
 TOEICは毎年職場で受けさせられるやつで、いわゆるIP。去年、ほんとに何も勉強せずに受けて、思った以上のスコアが取れてしまっていた。今年は、さすがに去年のスコアは超えておかないといけないような気がして、ちょっとは対策したのだけれど、まぁ、中途半端であった。
 最盛期には全く及ばないんだろうなぁ、って感じで受験して、今回の結果が表示されて、驚きと嬉しさと、狼狽が混ざりあった。ぼく、いうてそんなに英語できへんで。

●◯。。。...

 たぶん、TOEICのIPってスコアが出やすいのだろう。試験時間も短い。とはいえ、あんまりスコアが出るのも考えものだ。自分の実力とスコアからの印象が乖離し過ぎていると、あらぬ案件をふっかけられてしまう。テストばっかり上手くなってもいけぬ道理である。
 そんなわけで、もうちょい英語を使えるようになろうと意識するようになった。ちょうど職場の研修制度でDMM英会話が受けられる期間もはじまるので、それも利用して、それなりな英語力を身につけようと目論んでいる。
 ほんとに身につけられるのかどうか、ワンランクアップができるのかどうかは、正直微妙で、わからないけど。

●◯。。。...

 ところで、こういう語学系のスキルってのは、なかなか染み込まないし、なかなか抜け落ちないようである。最盛期はきっと大学受験生だったころだろうけど、その頃と比べて、確かに学術系の文章は読めなくなったものの、ビジネス文章だとか、メール文、まぁ、TOEICで出てくるような文章は読めるようになった気もする。文法的なことはだいぶ置き去りになって、ざっくり内容把握に切り替わった、というか。
 考えてみれば、読んだ英文の量は年齢に合わせて積み上がっていくので、経験量は右肩上がりだ。それらに応じる基礎体力だけあれば、触れてきたあれやこれやの英語を吸収していけるのだろう。そういう意味で、基礎的な力ってのは大切だったのかもしれぬなぁ、と思う。
 こういうのって、語学ばかりではなくて、国語力もそうだし、体力も同じだろう。自力でトレーニングができるところまでは整えておくって、すんごい大事なのだな、と、いまさら感じる。若い人は、ぜひ気をつけて。



m(_ _)m