meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

学んだことを棚卸しできていない。

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 なんだかんだ、いろいろと経験してきた。転職5回ってのは、決して少ない数字じゃない。特にぼくの世代で考えれば、結構な多さと言える数字だろう。もうあと5年遅く生まれていれば、もっとサラリと職場を変えられていたのかもしれないなぁ、なんて思うこともある。
 ベンチャーにいたこともあるし、NPOにいたこともあるし、起業の傍らにいたこともあって、でっかい企業グループの持株会社に潜り込んだこともある。そんでもって、今は病院を職場としている。気がつけば、現職についてから1年と9ヶ月ほどになっていて、実は前職の在職期間と同じだけいたことになる。それにしては、何も起こっておらず、何も起こしておらずで、やっぱり大きくておかための組織は動かないものだなぁ、と眺めている。
 それでも、時間は流れる。変化はしている。何かを経験して、感じて、考えて、勉強してきた。それらが、ずっと棚卸しできずにいる。言葉にして、ちょっとぐらいは整理して、誰かに伝えてみたいのだけれど、それがうまくできない。以前なら、そういうものをわさわさとここに書き付けていた。なにも隠す必要がなかったし、そうやってインターネットの世界に公開することをはばかる必要もなかった。そういうのができないのは、大きくておかたい組織の難点だなぁ、と思う。正直なところ、息苦しさは感じてしまう。

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 なんというか、今の職場で感じていることを、一般化して表現するのは、ちょっと難しい。それは組織内での困ったちゃんについての愚痴だったり、利害関係の調整に関わる面倒くささだったり、システムの特性からくる運用の難しさだったりする。きっと、友達と話せば、あるよねー、そゆことー、とか、そんな風になっとるやなー、とか、まぁ、少しは酒のツマミ的になる話題だろう。
 そういう雑談のようなことは、実は、結構大切なのかもしれない。仕事の話を、仕事とは関係のない場でしてみる。いわば、今風(?)の言葉で言えば、サードプレイスか。そう考えれば、このブログも、ぼくにとってはサードプレイスであったと言える。でも、これはオープン過ぎるサードプレイスで、言えないもの、書けないものが沢山出てきてしまう。そんなら、Facebookにでも書けばいいやないかって気もしてくるけど、それもなんだかなぁ、気乗りしない。長文になってしまうからだろうか。いや、Facebookもインターネットだってことを、ぼくが意識しているからだろう。脇が甘いと、思わぬところから攻撃をくらってしまう。つまりは、そんな組織にいるってことなのだ。

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 それにしても、この、自分を晒せない感覚ってのは、何なのだろう。自分が自分の文脈で生きて、お天道様に胸張っていられるのであれば、なにもはばかることはなかろうとも思う。いや、マナーは大切で、何でもかんでもモロ出ししちゃ駄目だけど、忖度までする必要はないだろう。
 こういう点でも、ぼくはまだまだインターネットを使いこなせてないんだろうなぁ、って感じる。まだまだ修行は続くのだろう。試行錯誤をしていきたい。



m(_ _)m