meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

時間の合間に。

 都合あって、午後休みにしたけれど、意外と時間ができてしまって、落ち着かないでいる。手持ち無沙汰になって、洗濯物を畳んだ。10月の日差しはまだ暑さを残している。風は少し冷たい。洗濯物はしっかり乾いていた。爽やかだなぁ、と思う。
 先週、38歳になった。今日になって母親から誕生日祝いのラインが届いた。38歳である。40歳が目前に迫ってきた、と言ったら39歳に怒られるだろうか。まさしくミドル、立派に中年なのだろう。いまだに下っ端なんだけど、管理職になってる友達もいるだろうし、リクルートだったら40歳は役職定年だったろうか。おお、なんだろ、最近だと定年ってのもこれぐらいの歳から言われてたりするし、早期退職なんてのも流行り?かもしれない。
 ある意味では、自分たちの時代が終わってきた、ってことだろう。もちろん、老け込むにはまだ早い。そんな風に捉えるつもりもない。ただ、おおよその結果が、それなりに出揃ってきているように思えてしまう。だから、次の世代のことも気になったりしている。

●◯。。。...

 大きなことを書いてみるならば、世界がこれから取り組んでいかなきゃならん課題は3つある。1つは環境問題。もう1つは人口増加への対応。最後に国際関係。ローカルにはこれらに押し流される中で、どれぐらい豊かさを感じられる人生に持っていけるかが大切になる。かなりの柔軟性は求められる気がする。
 環境と人口はある程度まで技術がカバーしてくれるだろう。カバーしなくてはならない、という方が適切なのだけれど、まぁ、とにもかくにも、人類にとって適切な環境を確保して、地球が保持できる人口に調整しながら生きればいい。かなりの部分が理系の範疇だ。
 しかし、国際関係だけは話が複雑になる。歴史を巡る問題であり、領土や資源の取り合いで、思想の問題でもある。人類から喧嘩がなくならない限り、この人類の内部紛争は続かざるを得ない。どこでバランスを取るか、そんな話になる。
 おそらくだけど、次の世界体制を描く人たちが出てこないといけない。その人たちは、資本主義であったり、主権国家であったり、所有であったり、個人であったりを超えた思想をつくっていく。その中で、今の世界を再構築していくんだと思う。
 100年後に地球がどうなっているか、そんな視点が必要で、それはぼくたちもどっかで持っておかなきゃならんのじゃないだろうか。2122年にぼくは生きていないけど、孫世代はその日を必ず迎えることになる。そのときに、均衡が保たれていればいいなぁ、と、本気で思う。

●◯。。。...

 いつだって世界は不安定なのだけれど、振り返ってみればこの20年は比較的安定していた、のかもしれない。実際どうなのかは知らないけど、そう感じる。少なくともぼくの身のまわりは、平和ではあった。
 いい時代に生まれたと感じられることはありがたいことだ。生きててえらい、じゃないが、38年も生きられたことも、世界水準、歴史水準で考えれば、なかなかにスゴイ。こういうありがたさやスゴさを人類史の上に積み上げていく、そんなつもりで生きるようにしておきたいなぁ、と思う。
 40にして惑わず。どうせ惑いまくるんだろうけど、それでも不惑。準備を進めよう。



m(_ _)m