meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

近況報告など。

 最近、書いていなかった。1ヶ月ぐらい間が空いてしまった。何をやっていたかというと、特に何かをやっていたわけでもなく、わりとのんべんだらりと過ごしていた。仕事の方が少し落ち着いてきたのもあって、ランニングが激しくなったり、ちょっとしたボランティアみたいなものがはじまったり、そんなぐらいのことをマイペースに進めている。もっと勉強しなきゃなぁ、というのはあるが、あまり手につかない。統計検定を受ける受けると言って、1年以上経ってしまった。
 正直なところ、自分がやりたかったことや、やるべきと思っていたことから外れてしまった者としては、自分にとっての「その他のこと」ばかりがやって来るだけで、消化試合をこなしている気分になる。仕事面での修羅場も一旦は落ち着いたので、燃え尽き症候群に似ている、とも言えるが、まぁ、もうちょい根本的な問題なのだろう。
 今の職場も、潜在的に相当に理不尽、もしくは危険なので、言うたら、そんなに働きたくない。ただ、働かなくてもそれなりにやっていける感じの環境があったりするので、そこはありがたいなぁ、と思っている。働きたくないのは、いつものことである。30代も最後の方になって、やっぱりそんなことを言っているってのは、意外だったかもしれない。人は、人の思想は、そんなに変わるもんじゃない。

●◯。。。...

 今日は有給だった。朝はランニングに出て、1km×3のインターバル。6月らしい蒸し暑さで汗だくになり、帰ってシャワー浴びてからはぐだぐだになった。特にやることを見出だせない日があるのは、なんだかもったいないのだけど、思った以上に暑くて身体が動かない。昼ごはんはどこかに食べに行こうと考えていたのに、家でそうめん作って済ましてしまった。
 二人暮らしでこんなのなのだから、独りだとさぞかし暇だろうなぁ、なんて最近想像することがある。なんだかんだで家事があって、炊事をして、一緒に食べて、きちんとお風呂に入るから、取り紛れて過ごせる。それらが全部なくなったら、膨大に時間があるだけになってしまうんだろうなぁ、とか。そりゃあ、みんな仕事するわけだ。仕事してれば、なんか生産的感を持つことができる。
 暇な時間があると、なんか生産的なことをしたいなぁ、と思う。何が生産的なのかはわからないけれど、とにかく、無為に過ごすのはもったいなくて、無駄で、充実させようとすると生産的であることが求められる。生産的感を持てたら、その日は合格点である。この生産的感に一番合致するのが仕事で、なんでかっていえば、それがお金につながっているからだったりする。それはそれでなんだか淋しいもんである。趣味を持たなきゃなぁ、と思う。
 そういう意味では、ランニングはなかなかいい感じにぼくの生活に入り込んできている。今まで何度かちょこちょこ走っては来たけど、10kmも15kmも走るってのは本当に久しぶりで、楽しい。今年中にハーフマラソンに出て、人生のどこかでフルマラソンでサブ4までは行こうと決めてしまって、そこに向けて身体をつくっている。本格的に走り始めてからまだ半年弱ぐらい。いつまで続くかって話はあるけど、できれば、うまいこと細々続けていきたい。60歳とかになっても走ってるようなのがかっこええ。

●◯。。。...

 さて、洗濯機が止まったようだ。干してから夕食をつくろう。
 なんか、もうちょっと文章を書いておきたいなぁ。



m(_ _)m