meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

2023年を振り返る

 なんとかかんとか、振り返りの時間を取ることができた。最近は、とんと文章を書けていない。文章力ってのがあるとしたら、そのスコアはぐんぐん下がっているだろう。来年は、もう少し書きたいなぁ、と、毎年、思っている。毎年、そんな内容を書きつけている。
 2023年が終わる。今年は、どんな年だっただろうか、ってことをちょいちょい考える。年始から仕事が忙しく、1月末ぐらいにはコロナに罹患し、春先に祖父が亡くなった。法事で実家に帰る機会が少し多くなり、家のことを意識するようになる。
 妙にランニングに精が出て、真夏の土日は5時半とかに起き出して走っていた。何度か足を痛めて、休養期間を設けてしまったものの、年末には初めてハーフマラソンに参加し、大会の雰囲気を思い切り楽しんだ。1時間48分の間、始終楽しくて仕方がなかったのは、きっと変なアドレナリンが出続けていたからだろうと思う。
 秋頃からは、外に出る機会がいくつか舞い込んできた。久しぶりに名古屋に行ったと思ったら、その後立て続けに名古屋に出ることになって、電車が珍しくなくなった。現職に就いてから初めて、宿泊を伴う出張に行った。途中下車した大阪の様子が、自分の知っているものと大きく変わっていて、驚いた。考えてみれば、5年ぶりの大阪である。そりゃあ、変わるわけだ。
 街は変わるが、人はあんまり変わらない。秋からこっち、何人かの友人に久しぶりに会ってみた。この歳になったから、なのか、見た目はほとんど変わらない。それこそ5年ぶりとか、もっと言えば8年とかそれぐらい会ってなかったハズなのだが、雑踏の中でもスグに見つけられる。連れてきた子どもだけがやたらに成長していて、不思議な気分になった。
 たぶん、自分たちの親もそんな感触を味わってきたのだろうな、と思う。ぼくたちも先人たちと違うようで同じ道を歩んでいて、それでいてやっぱり、違う道を歩いている。

●◯。。。...

 俯瞰してみると、コロナが落ち着いたのは大きかったように思う。コロナ前の世界がちょっとずつ戻ってきて、そこでやっと、ぽっかり空いた穴に気づく、みたいなことがあった。3年ぶりとか、4年ぶりとか、そんな感じだろうか。コロナ中もなんだかんだで飲み会とかはあったものの、居酒屋で、それなりの人数で、なんにも気にせず飲み会するのは、今年からだ。それなのに、なんか今までもおんなじことをやっていたような気がしてしまって、久しぶりなのに久しぶり感がなくて、なんというか、本当にコロナの期間がなかったかのような感覚になった。
 タイムリープしたような、年数だけが進んだような感覚は、コロナ明けな今年の特徴なのか、年齢が上がってきたことに起因するもので、今後もずっと続くものなのかは、あんまり判然としない。ただ、もし多くの人が同じ感覚を共有しているのであれば、この穴を埋めるような、補完するような動きや、解説や解釈がなされていくのだろうなぁ、と思う。
 東日本大震災は、ショックであって、恐慌でもあったが、こんなに空虚な時間を残すことはなかった。大きな社会的危機として、こういう比較検証もどこかでされなくてはならないだろう。

●◯。。。...

 コロナ前が昨日のことのように思えるけども、既にこの世は令和5年で、明日には令和6年を迎える。この間、ぼくは何をしてきただろう。社会のどこで、どういう役目を担って、どんな影響を与えてきただろう。
 自分のいる場所で、できることはやってきた気もする。ひとつぐらいは功績も残せた。そんでもって、もうちょっとズラしたところで、自分自身の文脈に寄せた場所で、手が出せることもあるように思う。



m(_ _)m