『あの日』を読んでみた。なぜか、湯川秀樹の自伝『旅人』を読んだ日に続けて小保方さんの手記を読むという、妙な1日を過ごしてしまった。湯川秀樹は「湯川秀樹」。小保方さんは「小保方さん」。この書き方にも、わたしの感触の違いがあらわれてしまうのだと思う。
『あの日』は、気味の悪い話である。決してハッピーエンドで終わることはなく、救われることはない。ただ、これはこれとして、読んでおいた方がいいのだろう。事実かどうか、書かれていることの正確性を問題にするのは専門家に任せておいた方がいい。ただ、小保方さん自身がこの本に書かれたように感じ、このような経験をしてきたと思っている、ということは確かなのだ。
●◯。。。...
それにしてもどろどろした話である。そんでもって、いやにリアリティのある話でもある。人間の嫉妬や落胆がありありと描かれている。バッドエンドだけども、まるでビジネス小説のような、そんな気分にもなる。事実は小説より奇なり。いや、とはいえ、同じことが自分の近くで起こる可能性も、残念ながら否定できない。
あらゆる組織は、一定の、一枚岩の正義を装っているようでいて、実は違う。それぞれの立場からの正義が蠢いている。こんがらがっている。だから、これが正義だと思い込んで立ち向かうと、思わぬ落とし穴にハマり込むこともある。
サービスの質を高めることが正義だと思う人もいれば、売り上げを伸ばすことが正義だと思う人もいて、実際は微妙に方向性が違っている。これを見抜いていなければ、やっぱりどこかでズレを起こしてしまうのだろう。
つまりは、政治の話なのだ。
純真無垢なヒーローが素直に頑張っても世界は認めてくれないことがほとんどである。と言ってしまうと、うしろ向き過ぎるだろうか。
●◯。。。...
話をややこしくするのは、こういった「政治」を「正義」が覆い隠してしまうからだ。「科学」だから、正しさが通用すると思ってしまう。わたしもロマンティストだから、科学的正しさがそこにあって欲しいと思う。でも、違ったようだ。改めて、そのことを思い知らされる。
科学だからといって、ある現象が確定して存在するといえるわけではない。むしろ、科学だから、それがアリなのか、ナシなのかがわからなくなる。世界は確定しないし、事実は常に動いていく。ゆらゆら、ふわふわしている。
その不確定な世界に、わたしたちは耐えなければならないのだろう。小保方さんの見方、小保方さんの経験してきた世界はあるし、また、批判をしてきた人たちの世界もやはりある。どちらが正しいと言い切れるわけではない。
●◯。。。...
とはいえ、決められずにまごまごしていてもモノゴトは進まないから困ったものである。単なる優柔不断ではいられない。こういうときに、わたしは「裏付けのない信念」という言葉を思い出す。信念は持つ。けども、裏が取れていないから、どこか隙がある。この微妙なバランスが大好きである。
『あの日』には、科学を信じたい心があった。『旅人』には、老荘思想や西田哲学が出てきた。知のあり方を考えてしまう。
m(_ _)m