『凡人のための地域再生入門』を読んだ。看板に偽りあり。タイトルにひかれて読もうと思った人にはオススメしない。地元がヤバいかもしれん、と思った一般ピープルができることについては、ほぼ、書かれていない。書かれているのは、凡人っぽい人がスーパースターをもり立てつつ独立起業して活躍するという、地域再生サクセスストーリーな小説である。
たぶん、筆者が言いたかったことについては概ね同意。ひとつは行政の補助金に頼っちゃいけないよ、ということ。もうひとつは、地域は衰退するべくして衰退しているって側面があるんだよ、ということ。さもありなん、そんな話も流れ聞く、ああ確かにそうだった、ってなこぼれ話がストーリーに散りばめられていた。ふぅ、とひと息。考えさせられる。
●◯。。。...
行政の支援が地域の邪魔になっている、ってな主張はひとまず横に置いておく。2つ目の主張に対しては地域に限らず、いろんなところで巻き起こっている。そりゃあ、日本は当然に衰退していくだろうと、言いたくもなる。
お偉いさんの思いつきのために下の人たちが駆け回った挙げ句、まったく成功もしていないのに、成功したことにしなければならない。そんな構図はどこでも目にする。日本社会独特のことなのか、どうかはわからないけれど、地位や職位はすんごいパワーをもっていて、実力社会の実力には権力も含まれているってことなのだなぁ、と思わされてきた。運が実力のうちなら、地位も実力のうちなのである。
当然、そんなことであれやこれやと振り回されている時間が多くなってくれば、上の者は自身の力を冷静に見られなくなり、下の者は繰り返される茶番に疲弊してしまう。数字が現状を照らし出したとしても、その数字に至った経路は曲解や誤解や虚偽に塗り固められている。
お偉いさんたちに対して、よくこの歪んだ鏡で自分の立ち位置を確認できるものだなぁ、とか思ってしまったりもする。そんなわたしは、歪んだ鏡製造機であって、よくわかっていない数字をよくわかっていないままに報告し続けている。
●◯。。。...
そんなことをしていたら、衰退するのは当然なのだ。売上がなくなり、活力がなくなり、打ち手は遅く、変化に対応できない。当然に衰退する。
ただ、難しいのはその当然の先にある。「それは本当に当然なのか」という問いが、頭のどこかに潜んでいる。お偉いさんの愚行に付き合い、ご機嫌をとった者がお偉いさんになり、同じことを繰り返す。そうやって、日本社会は紡がれてきたのかもしれない。
だと思うと、チャレンジをした正直者こそが、未来を見誤って社会を破壊するのかもしれない。現状のプロトコルを逸脱し、当たり前に帰ることが本当に良策なのかは、実はぼくにもわかっていない。ロジックばかりが正しいわけでもない。
だからって、チャレンジするなとは言わないけれど、見えないもの、まだ見えてこないもの、隠されているものへの敬意はどこかに持っておくべきだろうと思う。
m(_ _)m